2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ヘイダンゾクゴ

平 談 俗 語 日常会話で使われるごく普通の言葉を「平談俗語」という。「平談」も「俗語」も普段使いの言葉というほどの意味だ。 類義語に「俗談平話」というのがあるが、こちらは少しニュアンスが違うらしい。このことについては、高橋英夫さんの「風鈴が鳴…

コウトウムケイ

荒 唐 無 稽 言動に根拠がなく、しかも現実離れしていて、全くのでたらめに見えることを「荒唐無稽」という。「荒唐」とは『荘子』天下が出典であり、根拠がなく、とりとめのないことを意味する。他方の「無稽」は『書経』を典拠とし、考えに根拠がないこと…

ココントウザイ

古 今 東 西 今昔を問わず、洋の東西を問わぬ。要するに、Anytime, Anywhere. いつでも、どこでも見られる普遍にして不変なるものを「古今東西を問わず」という例の慣用句で表すのだ。 私は高校生のころ、たいへんな天の邪鬼で、四字熟語も他人が使う四字熟…

ジコホンイ

自 己 本 位 エゴイズム。要するに、自己中心主義のことである。反対語は、他人本位。 この問題は、バランスが非常に難しい。たとえば、話は脇道へと逸れるが、音楽や文章を考えてみよう。演奏家は誰のために演奏するのか。もちろん、聴いてくれる人のためで…

セイセイルテン

生 々 流 転 万物は絶えず生じては変化し、移り変わっていくという意味である。「生々」(「生生」)とは物事が次々と生まれることを表し、「流転」は絶えず移り変わることを意味している。 読み方を「 ショウジョウルテン 」にするか「 セイセイルテン 」にするかで少し悩…

ヤロウジダイ

夜 郎 自 大 漢の時代。テン、ヤロウという少数民族の国があった。それぞれ現在の雲南省、貴州省にあった小国である。小国と言ってもそれなりの国ではあったようだが、漢帝国の広大さには比べるべくもない。ところが、漢帝国というものをよく知らぬテン王は…

セイテイノア

井 底 之 蛙 要するに「井の中の蛙 大海を知らず」の四字熟語版だ。「井蛙之見」(セイアノケン)「坎井之鼃」(カンセイノア)とも言うらしい。ただし「井蛙之見」は、日本限定の四字熟語であるため、中国では通用しない。 『荘子』秋水に、こんな逸話がある。古井戸に…

ヒヨクレンリ

比 翼 連 理 夫婦の情愛が深く、仲睦まじいこと。類義語に「偕老同穴」(カイロウドウケツ)「関関雎鳩」(カンカンショキュウ)「琴瑟調和」(キンシツチョウワ)「形影一如」(ケイエイイチニョ)「合歓稠謬」(ゴウカンチュウビュウ)「相思相愛」「双宿双飛」(ソウシュクソウヒ)などがある。 由来は、白…

イッシャセンリ

一 瀉 千 里 もともとは、流れがきわめて速いさまを「一瀉千里」といった。「一瀉」とは、水がドバッと勢いよく流れ出すときの“流れ出し”を表す。「吐瀉」という熟語を想起すれば、分かりやすいだろう。それが「百里」もの距離を流れ下るのであれば「一瀉百…

ビョウショウリトク

病 症 利 得 ‘ gain ’ この名詞は、電子工学の分野では、受信機・増幅機などの入力信号レベルに対する出力信号レベルの割合のことを指す。‘ gain control ’ と言えば、入力信号レベルが変化しても、出力信号を一定に制御することを表すそうだ。 「病症利得」…

ホウタンショウシン

放 胆 小 心 謝枋得『文章軌範』という書物がある。科挙の受験生のために、韓愈・柳宗元・欧陽脩・蘇洵・蘇軾・蘇轍ら、唐宋の名文六十九編を精選した至れり尽くせりの参考書だ。 一般的にいえば、“放胆”も、“小心”も、人の性格を表す言葉である。“放胆”は大…

ワコウドウジン

和 光 同 塵 老子の提唱した境地である。其の光を和らげ、其の塵を同じゅうす。すなわち、自分の光り輝く才能や知徳を隠して、世俗の塵にまみれ、慎み深く目立たなく暮らせという教えが「和光同塵」である。他の四字熟語で「内清外濁」(ナイセイガイダク)「韜光…

シュノウハンタイ

酒 嚢 飯 袋 能無しのくせに、ご飯はよく食べるし、お酒は浴びるように飲む。 世の中にはそんな役立たずもいる。そんな役立たずのことを、四字熟語では「酒嚢飯袋」という。あるいは「酒甕邗嚢」「無芸大食」という四字熟語で言い換えることもできる。本当を…

センリドウフウ

千 里 同 風 「万里同風」とも言ってもよいのだが、「非常に遠いところにも同じ風が吹く」ということから派生して、「天下が遍く太平に治まっていること」を意味するようになった。ただし悪い意味で使うこともあって「天下がいたるところで乱れている」とい…

シセキセンリ

咫 尺 千 里 「咫尺」というのは、古代中国の長さの単位。「咫」が女子の指十本分の長さ、「尺」が男子の指十本分の長さを表した。そこから「非常に近い距離」という意味が派生する。「咫尺の地」ならば「非常に狭い土地」、「咫尺の書」ならば「短い手紙」…

リンジュウショウネン

臨 終 正 念 「臨終正念」という四字熟語は、仏典を読んでおると、枚挙に暇がないほどに、多く出てくる語である。たとえば、「一遍上人語録」には「南無阿弥陀仏と唱へて、わが心のなくなるを臨終正念といふ」との説明が出てくる。要するに、「成仏」という…