シリメツレツ




 支 離 滅 裂






統一がなく、ばらばらで筋道が立っていないこと。めちゃくちゃ。
「四分五裂」「乱雑無章」ともいう。



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坂口安吾「篠笹の陰の顔」に用例がある。



《発狂といつても日常の理性がなくなるだけで、突きつめた生き方の世界は続いてゐる。むしろ鋭くそれのみ冴えてゐるのである。一見支離滅裂な喚きでも、真意の通じる陰謀政治家が発狂してゐないと断言したのは当然で、ほかの家族は発狂と信じてゐた。これも亦自然である。》



この作家ならではの「支離滅裂」の捉え方というべきだろう。一方では発狂に見えるが、他方では日常の理性が失われただけという二重相であるという認識は、ファルスの肯定から始発したこの作家に終始一貫していたというべきだろう。



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石坂洋次郎「若い人」に用例がある。



《反対の場合には彼は吃りがちで支離滅裂にしか語れない。》



人間はいつも論理的で理路整然としているわけではない。殊に反対意見ということになれば、感情的、あるいは反射的な要素も加わってくるだろう。鋭い人間観察に基づいている。



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源氏鶏太『天上大風』にも用例はある。



《「僕は、社長を辞めたくなったよ。」
 「こいつ、ゼイタクをいってらア。しかし、辞めたかった、辞めろよ。」
 「しかし、いま、辞めるわけにはいかん。意地にでも、僕は、辞めないよ。」
 「いうことが、何んだか、シリメツレツだな。」》



酒場でのサラリーマンの愚痴は、だいたいこういうものだ。この場合、実権のない社長だが、事情は同じである。そして、そういう矛盾というか、「シリメツレツ」に温かい目を注ぐのが、言葉の正しい意味でのユーモア小説家の力量というべきだろう。



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北杜夫『楡家の人びと』に用例がある。



《その支離滅裂な叫び、酒に濁って血走ったその目の奥に、城木は人間の持つもっとも原初的な感情、死への恐怖の情をちらと垣間見たような気がした。》



トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』を踏まえる『楡家の人びと』の良さは、一言で言えば「支離滅裂」の肯定にあると要約できるだろう。