ドクショサントウ




 読 書 三 到






読書するには、眼でよく見て(眼到・看読)、口で音読し(口到・音読)、心で会得する(心到・心読)ことが大切だという教え。



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朱熹「訓學齋規」が出典である。



讀書有三到、謂心到、眼到、口到。三到之中、心到最急。》



 (読書に三到有り。心到、眼到、口到を謂ふ。三到の中、心到最も急なり。)



文中の「心到最も急なり」とは、心で理解することが最も大切という意味である。なお『童蒙須知』にも「讀書要字々響亮、心到、眼到、口到」とある。



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小林秀雄「読書について」に用例がある。



《読書百遍とか読書三到とかいう読書に関する漠然たる教訓には、容易ならぬ意味がある。おそらく後にも先にもなかった読書の達人、サント・ブウヴも、漠然たる言い方は非常に嫌いであったが、読書については、同じように曖昧な教訓しか遺さなかった。
「人間をよく理解する方法は、たった一つしかない。それは、彼らを急いで判断せず、彼らの傍らで暮らし、彼らが自ら思うところを言うに任せ、日に日にのびてゆくに任せ、ついに僕らのうちに、彼らが自画像を描き出すまで待つことだ。
 故人になった著者でも同様だ。読め、ゆっくりと読め、成り行きに任せたまえ。ついに彼らは、彼ら自身の言葉で、彼ら自身の姿を、はっきり描き出すに至るだろう。」》



サント・ブーヴの引用を含むため、長い引用になったが、小林秀雄が指摘するごとく、古今東西、読書の極意については漠然と語るより仕方がないようだ。



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紀田順一郎読書三到―新時代の「読む・引く・考える」』は、書名自体が用例となっている。



今日においては、もはや古典的な意味のままでの「読書三到」の実現は至難であろうが、本質は変わらないと信じたいものである。