カンカンガクガク




 侃 々 諤 々 






遠慮なく意見を言い合い、議論が白熱する様子。忌憚なく、直言すること。
略して「侃諤」ともいう。「諤諤之臣」「議論百出」「剛毅正直」「談論風発」「直言極諫」「廷諍面折」「百家争鳴」「面折廷諍」ともいう。



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孔子論語』〈郷党〉を一方の出典とする。



《朝與下大夫言、侃侃如也。》
 (朝にて下大夫と言ふとき、侃侃如たり。)



司馬遷史記』〈商君伝〉が他方の出典となる。



《千人之諾諾、不如一士之諤諤。》
 (千人の諾々も、一士の諤々に如かず。)



論語』の「侃侃」と『史記』の「諤諤」を合成して「侃侃諤諤」となった。



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石川天崖『東京学』に用例がある。



《此の下相談といふ事は大概の集会に於て行はれて居て、侃々諤々正議是れ重んずるといふ人士は何時も其の仲間に入れない様な事になるのである。》



これは『東京学』の「団体及び其の操縦法」という第九章に記される一節であるが、「下相談」すなわち根回しという風習を、このように傍観的に説明することによって皮肉っている。天崖は、議会でもそのようになっていると、さらに筆を続けていく。



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菊池寛「若杉裁判長」に次のような例がある。



《その晩、寄宿舎へ帰ってからも、そうした不正に対する義憤は、なかなか静まりませんでした。床に就いてからも、またそのことを思い続けていました。その時にふと、将来法律を学んで、こうした無辜の人々のために、侃諤の弁を振ってみようかという考えが、若杉さんの心に浮びました。》



「侃諤」という語は、もともと剛直という語感があり、正義のニュアンスを帯びている。「若杉さん」というのは、若杉浩三という裁判長のことである。「不正」というのは、ミルク屋で警察が捕縛する様子を見物していたひとりが刑事とぶつかり、刑事に暴言を吐かれて反抗したら、それだけで逮捕されてしまった一事を指している。こうした理不尽がきっかけとなって若杉は、判事になったというわけだ。



ちなみに、菊池寛には「話の屑籠」にも〈十年前二十年前には、まだかんかんがくがくの議論が、きかれた。今は、新聞などでも、みんな顧みて他を云つてゐる感じしかしない〉という用例がある。漢字が難しいため、ひらがなにしている。



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久米正雄「良友悪友」からも引用する。



《而してかう云ふ風に醒めて来ると、自分の凡才が憐まれると同時に、彼等のさうした思ひ上つた警句や皮肉が、堪らなく厭になつて来るのだつた。そこでたとひ第一義的な問題に就いての、所謂侃々諤々の議論が出ても、それは畢竟するに、頭脳のよさの誇り合ひであり、衒学の角突合であり、機智の閃めかし合ひで、それ以上の何物でもないと、自ら思はざるを得なくなつて来るのだつた。
 私は急に口を噤んで、考へ込んで了つた。》



この用例からは「侃々諤々」への否定的な見解がうかがえる。なるほど、ただのひけらかしに堕してしまっているようなケースは、学会などでよく見かける光景であろう。