イッシャセンリ




 一 瀉 千 里






もともとは、流れがきわめて速いさまを「一瀉千里」といった。「一瀉」とは、水がドバッと勢いよく流れ出すときの“流れ出し”を表す。「吐瀉」という熟語を想起すれば、分かりやすいだろう。それが「百里」もの距離を流れ下るのであれば「一瀉百里」だし、「千里」もの距離を流れ下るのであれば「一瀉千里」となる。もちろん、「百里」/「千里」は遠い距離の喩えに過ぎぬから、これらの差異はあまり気にする必要はない。通常は「一瀉千里」だろう。



「一瀉千里」は、文章や弁舌がよどみなく、すらすら進むことの比喩としてもよく用いられる。私は万年筆を握りしめて原稿用紙に向かうとき、こうしてパソコンのキーボードへ向かうとき、まず儀式のように「一瀉千里」とか「一気呵成」(イッキカセイ)といった言葉を思い浮かべる。イメージ・トレーニングというやつだ。



殊に私が憧れるのは、芥川龍之介が「戯作三昧」で描き出した滝沢馬琴のそれである。ただし、ここには「一瀉千里」という四字熟語は一切出てこない。そこがよい。もちろん、言うまでもなく、芥川は「一瀉千里」くらいの四字熟語は知っていた。夙に初期習作「木曾義仲論」でも「一瀉千里」という四字熟語が見られるのである。だが、「戯作三昧」では、おそらく脳裏にはくっきりと「一瀉千里」の四字が掲げられていたにもかかわらず、あえてそれを使わずに「一瀉千里」の場面を表現したかったのだろうと推測する。



《「あせるな。さうして出来る丈、深く考へろ。」
 馬琴はややもすれば走りさうな筆を警めながら、何度もかう自分に囁いた。が、頭の中にはもうさつきの星を砕いたやうなものが、川よりも早く流れてゐる。さうしてそれが刻々に力を加へて来て、否応なしに彼を押しやつてしまふ。
 彼の耳には何時か、蟋蟀の声が聞えなくなつた。彼の眼にも、円行燈のかすかな光が、今は少しも苦にならない。筆は自ら勢を生じて、一気に紙の上を辷りはじめる。彼は神人と相搏つやうな態度で、殆ど必死に書きつづけた。
 頭の中の流は、丁度空を走る銀河のやうに、滾々として何処からか溢れて来る。彼はその凄じい勢を恐れながら、自分の肉体の力が万一それに耐へられなくなる場合を気づかつた。さうして、緊く筆を握りながら、何度もかう自分に呼びかけた。
「根かぎり書きつづけろ。今己が書いてゐる事は、今でなければ書けない事かも知れないぞ。」
 しかし光の靄に似た流は、少しもその速力を緩めない。反つて目まぐるしい飛躍の中に、あらゆるものを溺らせながら、澎湃として彼を襲つて来る。彼は遂に全くその虜になつた。さうして一切を忘れながら、その流の方向に、嵐のやうな勢で筆を駆つた。》



ここで描かれる書き手の生理的な感覚は、むろん滝沢馬琴のものであるばかりでなく、芥川本人のものでもあったことは言うに及ばない。ところが、こうした神懸かり的な芸術家の勢いというものにはひどく焦れるものの、遅筆な私にはこのような体験など、滅多とあろうはずもなく、大抵の場合、訥々と地道に枡目を埋めるよりほかない。



将棋の例ならば、少しは理解もできるか。



《塚田八段十分考えて、五八金左。すぐ五六飛、六八桂、三分考えて四九桂成、同王、五八飛成、同王、六二王。
 例の夕立に干物のバタバタで、私のかねての狙い、どこで手が変るか、その手が変っていたのだが、私にはそれが分らぬ。私は手を見ているのじゃなしに、打つ人の顔を見て、顔で判断しているのだが、劇的な何物もなく、ただバタバタの一瀉千里、片がついていたのだ。五六飛の次、二十七手目、六八桂で変っていた。》



上記は、坂口安吾「散る日本」からの引用である。これに私たちのヘボ将棋を引き合いに出すのはなんとも烏滸がましいが、終盤で自玉か相手玉の即詰みを読み切ったときに限っては、私も手が早くなる。そのときだけは、ちょっぴり「一瀉千里」ならぬ「一瀉三里」(?)の境地を味わうことができる。



棋士にしても、作家にしても、その他の芸術家にしてもそうだろうが、「一瀉千里」の向こう側に、素人には計り知ることのできないイデアの源泉、沃野の広がりを有しているところが凄いと思う。凡庸な私は、訥々と地道に枡目を埋める人間でよいと諦めかけているが、そうした源泉や沃野の広がりに驚嘆することぐらいはできる人間でありたいと希う。たとえ、それが映画《アマデウス》のサリエリのような、すなわち書き直しの跡が見られぬ天才“モーツァルト”の「一瀉千里」な譜面に嫉妬し、絶望するしかない、あの惨めなサリエリの地位に甘んじることになるのだとしても。