キヨホウヘン




 毀 誉 褒 貶






世間からほめたり、けなされたりされること。
「雲翻雨覆」「翻雲覆雨」ともいう。



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木下尚江『火の柱』に用例がある。



《――姉さん、貴嬢は今ま始めて凡ての束縛から逃れて、全く自由を得なすつたのです、親の権力からも、世間の毀誉褒貶からも、又た神の慈愛からさへも自由になられたのである、今は貴嬢が真正に貴嬢の一心を以て、永遠の進退を定めなさるべき時機である、》



自由になるためにはさまざまな束縛から解放される必要があるが、その一つが親の権力であり、もう一つが世間の毀誉褒貶であるが、もう一つ、神の慈愛というところが面白い。



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泉鏡花「海城発電」からも引用してみる。



《(略)既に自分の職務さへ、辛うじて務めたほどのものが、何の余裕があつて、敵情を探るなんて、探偵や、斥候の職分が兼ねられます。またよしんば兼ねることが出来るにしても、それは余計なお世話であるです。今貴下にお談し申すことも、お検べになつて将校方にいつたことも、全くこれにちがひはないのでこのほかにいふことは知らないです。毀誉褒貶は仕方がない、逆賊でも国賊でも、それは何でもかまはないです。唯看護員でさへあれば可。しかし看護員たる躰面を失つたとでもいふことなら、弁解も致します、罪にも服します、責任も荷ふです。けれども愛国心がどうであるの、敵愾心がどうであるのと、左様なことには関係しません。自分は赤十字の看護員です。」
 と淀みなく陳べたりける。看護員のその言語には、更に抑揚と頓挫なかりき。》



毀誉褒貶の大半は的外れであることも多い。的外れなレッテル貼りに動揺せず、自分の信念の通りに進まなければならない職業の一つに看護師があるのだろう。



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宮本百合子「近頃の感想」にも用例がある。



《私がブルジョア作家として仕事をしていた頃は、ブルジョア文壇の当然の性質として批評は主観的な印象批評が多かった。私は、個人的なものの考え方で、すべての毀誉褒貶を皆自分のこやしとして、自分が正しいと思う方へひたすら伸びてゆくこと、そして、よかれあしかれ自分の生きっぷりと、そこから生れる仕事で批評をつき抜いて行くこと、それを心がけとしてやっていた。
 幸にも、そのやぼな生活力で、おぼつかないながら一つの発展の可能性をとらえ、プロレタリア文学運動に参加するようになってからは、そういう個人的な考えかたはなくなった。たとえば、過去において、私がもっともいいたいことを持っていた例のつむじ風時代に、あえて私が黙っていたのは、かりにも一つの団体の中で、自分の熱情の幼稚な爆発のために混乱を一層ひどくし、且つそれを個人的なものにしてはいけないと考えたからであった。
 この頃になって、私はそこからもう一歩出た心持でいる。自分の書くものに対して与えられるものとは限らず、批評のあるものに対しては、必要に応じて自分の見解をあきらかにしてゆくのが本当の態度であろうと考えている。
 なぜなら、作家にとっては書くものと実生活との統一において、いわば私的生活というものはないし、社会との関係にあっては作家は常に公の立場にあるものである。また批評も本来は対象を個人にのみ置くものでない。そして私は、本質上、プロレタリア文学の領域にしか、文学を全体として押しすすめる客観的批評は確立し得ないものであることを、近頃ますますつよく信じるからである。》



世評にいかに対処するか。これは文学者が常に悩まされてきた宿痾である。文学者は、看護師、俳優や音楽家のように、100%感謝されたり賞賛されたりという機会がほとんどない。文学においては完全なる傑作というものがあり得ないからだ。代わりにあるのは、「毀誉褒貶」か「罵詈雑言」であって、それでもまだましな方と言えて、たいていは「無視・黙殺」という憂き目に遭う。



宮本百合子の態度は、立派に過ぎる。こやしにするにせよ、沈黙は金にせよ、冷静に自分の見解を明らかにするにせよ、立派だなあと半ば感心し、半ば惘れてしまう。さらっと受け流すという選択肢はないのだろうか。もっとも、現実には、自身の分身である作品に関する批評をさらっと受け流すというわけにもいかないというのが実状なのだろう。正宗白鳥は「口先や筆先では毀誉褒貶に超然としているらしく見せかけていても、文壇人は俳優や音楽家と同様、人気を気にするのが普通である」(「旧友追憶」)と言っているが、なるほどそういうものなのだろう。




チュウトハンパ




 中 途 半 端






どっちつかずで片づかないこと、不完全で未完成なこと、最後まで徹底しないこと。



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二葉亭四迷「其面影」に用例がある。



《「君は能く僕の事を中途半端だといって攻撃しましたな」》



「平凡」という標題の作者でもあった二葉亭四迷という人ほど「中途半端」という四字熟語が似合う作家も他にはいないだろう。



まず人生が中途半端だった。作家としても、実業家としても、中途半端だった。登場人物たちにも、中途半端なものが多い。さらに、結末なども中途半端と来るから救いがないが、そこで「文学というものは中途半端を肯定するものだ」式の言葉で、要約してしまってよいものかどうか。そのようなことを考えながら、改めてこの引用に向かい合うと、響きに別の重層が得られるだろう。



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夏目漱石『道草』に用例がある。



《彼は金持ちになるか、偉くなるか、二つのうちどっちかに中途半端な自分を片付けたくなった。》



漱石の場合、『道草』という標題も示唆的なのだが、片付かない中途半端な状態のほうがよいという諦め(それはしばしばユーモアであり、逆説的なメッセージでもある)を同時に発しているケースがままあるようにも見受けられる。



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梶井基次郎「泥濘」にも用例はある。



《なにかをやりはじめてもその途中で極って自分はぼんやりしてしまった。気がついてやりかけの事に手は帰っても、一度ぼんやりしたところを覗いて来た自分の気持は、もうそれに対して妙に空ぞらしくなってしまっているのだった。何をやりはじめてもそういうふうに中途半端中途半端が続くようになって来た。またそれが重なってくるにつれてひとりでに生活の大勢が極ったように中途半端を並べた。そんなふうで、自分は動き出すことの禁ぜられた沼のように淀んだところをどうしても出切ってしまうことができなかった。》



長年、梶井基次郎には漱石と似たようなユーモアが作動していると感じていた私だが、その共通するところは「中途半端」という四字熟語によって解くことができるかもしれないと思いはじめている。梶井にせよ、漱石にせよ、登場人物たちに「中途半端はいけない」というオブセッションが働いているからである。



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大佛次郎『帰郷』にも用例がある。



《「もっと、日本人はおっこちなければ駄目だ。僕はそう見ている。無慈悲でも突き落す必要があるんだ。中途半端なところへ、ぶらさがってこれで済むのだ助かるのだと見ている。その料簡を叩き毀さない限り、復活はないさ。ほっかぶりして通ろうと思っているんだろう。卑屈で、軽薄で、民族の誇りも自負もない。こういう奴は、どん詰りまで突き落して、苦しい目を見せなければ駄目なんだ。苦しみの底を嘗めたら、どんな人間でも目をあくよ。歯をむいて怒り出すよ。そうだ。怒りだ。こいつだけが、日本人を救うんじゃないかね。見たまえ、誰も怒りを感じている人間なんていやしない。皆、へらへら笑っている。なさけない哉さ。あの戦争に今も心から怒っている人間だけでも、幾たりいるかね。もう済んだ。お目出度う御座いますでへらへらしている。嗚呼、嗚呼だ。人間が他人の運命でも自分のことのように怒るようにならんけれア駄目なんだ。断じて駄目なんだ。宙ぶらりんじゃね。いつまでも宙ぶらりんじゃアね。」》



思わず引用が長くなったが、画家・小野崎公平の熱弁には説得力がある。それは一つには、坂口安吾堕落論」の影響が色濃いためである。そして、そこに怒りのエネルギーが加わっていることもあるだろう。この場合の「中途半端」は「いつまでも宙ぶらりん」な日本人気質に向けられている評語だが、敗戦直後であれ、今日であれ、状況は豪も動いていないように見える。中途半端なまま、復活してしまった。



画家でなくとも、徹底がなく、あまりに優しすぎて不甲斐ない日本人に対して、怒号を飛ばしたくなることがあるだろう。



が、それでもなお、それを愛おしく思う人もあるだろう。「だから駄目なのだ」と言われると分かっていながら、それでもなお、それを愛おしく思う人があるだろう。


イントクヨウホウ




 陰 徳 陽 報






見えないところで善行を積む者には、必ず目に見える結果がついてくるという教え。
「陰徳恩賜」「于公高門」「善因善果」「不言実行」「陰徳あれば陽報あり」などともいう。



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「陰徳陽報」の典拠は『註千字文』『韓詩外伝』『呂氏春秋』『准南子』『説苑』など、さまざまある。



李暹『註千字文』の「知過必改、得能莫忘」の箇所に註された「陰徳陽報」は、今日では日本だけに伝わるものであるようである。



そこでは、秦の穆公が馬を盗んだ五人の盗賊たちを死罪とすべきところ、酒をふるまい特赦したことによって、後日盗賊たちが穆公に恩返しをした際に、穆公が述べたというふうに『呂氏春秋』の故事を紹介している。



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劉安編『淮南子』〈人間〉の例も、この語を広く知らしめるのに貢献した。



《夫有陰徳者必有陽報。有陰行者、必有昭名。》
 (夫れ陰徳有る者は、必ず陽報有り。陰行有る者は、必ず昭名有り。)


「昭名」の「昭」は「明」に同じ、「名」は「名誉、ほまれ」のこと。陰徳がある者は必ず明らかなよい報いがあるし、陰行がある者は明らかな誉れがあるという。



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劉向編『説苑』〈復恩〉の例は、陽報を具体的に子孫の繁栄としている。



《陰徳有る者は必ず其の楽を饗けて以つて其の子孫に及ぼす。》



その後「陰徳は末代の宝」ということわざが生まれるようになるが、その淵源であろう。そして、こうした先祖の陰徳を子孫が陽報として享受する例は、当然のことながら『蒙求』のいわゆる「于公高門」(「于公門閭を高大にす」)の故事なども想起させる。



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李瀚編『蒙求』によれば、フェアな裁判を常に心がけていた漢の時代の丞相・于公が、そうした日ごろの陰徳がいずれ子孫の繁栄につながると予測して、村の門をあえて高大なものにしておいたところ、はたしてそのとおり、息子の定国が宰相にまで上り詰めるなどして、高門にふさわしい一族の繁栄を見せたということである。



空海三教指帰』は「陰徳」という語から、この于公の故事と、墓の掃除をしながら息子の帰りを待った厳母の故事を連想しているので、陰徳とこうした子孫や家族の繁栄を結びつける話型は広く普及していたと推察される。



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日蓮「陰徳陽報御書」には、次のようにある。



《さきざき申し候いしやうに陰徳あれば陽報ありと申して、皆人は主にうたへ主もいかんぞをぼせしかどもわどのの正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじやうにしてすれんをすすればかかるりしやうにもあづからせ給うぞかし此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ》



「陰徳陽報」は、もともと儒教の流れにある教えであるが、この御書の存在があるため、特に日蓮宗で大切な教えとして伝えられているようだ。



日寛が『千字文註』を引用し、穆公の故事を紹介していることなどからも、そのことがうかがえる。



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浅井了意『浮世物語』のような仮名草子にも、用例はある。



《日夜常に忠と孝との二つによりて、是を思ふ事忘れざるは、たとひ人知らずといへども天必ずこれを知ろしめす。陰徳あれば陽報ありとは此事をいふなり。》



やはり忠孝と結びつけられているところに、日本的受容の特徴があるのだろう。



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柄井川柳ほか『誹風柳多留』の川柳は、真面目すぎる教えを逆手にとって笑う例。



《陰徳をほどこし過ぎて下女はらみ》



低俗ではあるが、陰は淫に通ずというのが、江戸の笑いである。



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古典や仏典に用例が多く、近代の作家の用例は、古典に精通する幸田露伴のような人を除けば*1、さほど多いとは言えないようだ。しかし、これからはもっと新しい角度から再評価が進んでもよい知恵であるように思われてならない。



イヴァン・イリイチの「シャドウ・ワーク」という概念が、ビジネスの世界でも注目を集めるようになっている*2。この古めかしく見える四字熟語に新しい光を当てるのも悪くない感触が私にはある。








*1:露伴はズバリ「陰徳陽報」という題の文章を残しているし、有名な『努力論』の「惜福」「分福」「植福」にも「陰徳陽報」思想の影響が見られる

*2:I・イリイチシャドウ・ワーク―生活のあり方を問う (岩波現代文庫)』および一條和生・徳岡晃一郎『シャドーワーク―知識創造を促す組織戦略』などを参照のこと。

ワキアイアイ



 和 気 藹 々





なごやかな気分が満ちあふれている様子。
「和気藹然」「和気洋々」ともいう。



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李邕「春賦」が出典である。



和気藹として寓に充つ》



和らいだ雰囲気が住まいに満ちているという意である。



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谷崎潤一郎「月と狂言師」に用例がある。



《もっとも家には孫の嫁女や曾孫等もいて和気藹々たる家庭であるとやらで、千作翁の満悦は察するに余りある。》



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内田百輭百鬼園先生言行録」〈四〉の例は、ユーモアたっぷりで楽しい。



《島村哲二君並びに新夫人衣久子さんの多幸なる前途を祝します。又両家のご両親並びに御親戚一統の方々に、心から祝意を表します。男と女が相合して夫婦となり、睦まじく一家を成す。誠に目出たいのであります。我々の祖先、太古原人の時代にあつては、中々かうはまゐらなかつた。昔は人を食つたのであります。人間は誠に美味なる御馳走なのでありまして、これは酋長が食ひました。さうしてその余りを他の者が食ふ。当時にあつては、婦人の位置は申すまでもなく低く寧ろ位置などと云ふのではなくて、一つの物品に過ぎなかつた。その為に女は人間の味を段々に忘れて来る。然るに男も女も、女を通じてでなければ生まれる事ができない。これは我々人類に取って随分窮屈な事ではあるが、又非常な幸福でもあつたのであります。若し殺伐なる男子が女に依らずして生まれ得るものであつたなら、男の殺伐性は累代その度を加へ、ついにはその為にお互いが殺し合つて人類は滅びたでありませう。幸ひにして我々は男女を問はず、女から生まれるのであります。その女は前に申したやうなわけで、次第に人間の味を忘れて来る。従つてその女から生まれた男も亦一代一代と人間の味の記憶より遠ざかり、その結果がついに今日の如く、只今列席の諸君を見ても、格別食べたく思はないのであります。即ち我々がかく一堂に会し、お互いに和気藹藹としてゐられるのは女のお蔭であります。さうして今晩の席に於てその女を代表し、なお将来の平和、新家庭の幸福を約束せられるのは衣久子婦人であります。》



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石川達三には、次のような用例がある*1



《内地の新聞報道は嘘だ。大本営発表嘘八百だ。日本の戦争は聖戦で、日本の兵隊は神兵で、占領地は和気藹々たるものであるというが、戦争とはそんなお芽出度いものではない。痛烈な、悲惨な、無茶苦茶なものだ。》



「和気藹々」という四字熟語はそもそも家庭の雰囲気を表す語であったが、日本が戦争でアジアを家族という詭弁を使って包摂しようとしたことを石川達三は見抜き、「和気藹々」が虚構であることを発いた。買いかぶり過ぎだろうか。いや、買いかぶり過ぎだと私は思わない。



岡部耕大精霊流し」に出てくるおばばのせりふを、ここで私は思い出す。



おばば (笑って)やさしか人が……連れ合いの手紙にゃ、あんた、よかことばかり、あん海のむこうなあ、大陸なあ、別天地のごと、よか話ばかり、ばって、あんんた、その手紙の黒か墨からにゃ、におうとよ、不幸のな、苦労のな、絶望のな、においでわかるよ嘘の、悲しか嘘の……》



彼岸の「和気藹々」は、悪意のあるものから善意のものまで、いろいろあるが、虚構であることが多いという点では変わらない。



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太宰治「親友交歓」にも用例がある。



《昭和二十一年の九月のはじめに、私は、或る男の訪問を受けた。
 この事件は、ほとんど全く、ロマンチックではないし、また、いっこうに、ジャアナリスチックでも無いのであるが、しかし、私の胸に於いて、私の死ぬるまで消し難い痕跡を残すのではあるまいか、と思われる、そのような妙に、やりきれない事件なのである。
 事件。
 しかし、やっぱり、事件といっては大袈裟かも知れない。私は或る男と二人で酒を飲み、別段、喧嘩も何も無く、そうして少くとも外見に於いては和気藹々裡に別れたというだけの出来事なのである。それでも、私にはどうしても、ゆるがせに出来ぬ重大事のような気がしてならぬのである。》



太宰治は「和気藹々」という四字熟語を最も多用する作家であると言ってよいように思うが、彼の語りは「和気藹々」を外見と実質に分けて斜めから見ようとするところに特徴がある。その意味において言えば、彼はやはり近代の作家ではなく、近代を越え得る、あるいは近代から食み出す部分のあった作家であったと私は評価している。



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古井由吉妻隠」にも用例がある。



《分裂騒ぎの真最中には互いに目を吊り上げていがみあい、両側から彼をこづきまわした連中がうち揃って、ほとんど和気藹々と、床に坐りこんで立ち上がれない彼を賑やかに医療室に担ぎこんだ。》



過労で倒れた男が医療室に運び込まれるという何げない場面のように見えるが、一つには詳しく書かれない「分裂騒ぎ」という背景が気にかかると言えば気にかかるし、またこの男に声をかける所在の知れない老婆の〈老いも若きもうちとけて、そりゃあ和やかなものよ。三日に一度、夕飯の後に集まって、円くなって……〉という台詞の「和やかな」円陣をも併せて想起してみると、「和気藹々」から幾重にも、そして柔らかくも徹底的に疎外されていく郊外居住者の像が、細部においてもくっきりと、密に強められていることがわかってくるだろう。この柔らかにして緻密な文体は、今もってして他の追随を許さない。


*1:浜野健三郎『評伝石川達三の世界』参照。

リュウビトウジュ




 柳 眉 倒 豎






若くて美しい女性が感情的になって怒りをあらわにする様子。
「横眉怒目」「張眉怒目」「柳眉を蹴立てる」「柳眉を逆立てる」「柳眉を釣り上げる」などともいう。



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文康『兒女英雄傅』〈五〉が出典とされるが、残念ながら未見である。



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曲亭馬琴椿説弓張月』〈續・四十〉に「柳眉を蹴立てる」の用例がある。



柳眉を蹴立る星眼尖く、百万騎の大軍をも、おそれつべき気色なければ……》



漢文脈を踏まえるならば、「柳眉」と「星眼」とがいわばセットであることは自明のようで、本邦でも江戸から明治初期あたりまではこの慣用は保たれていたと推測される。「星眼」は、星のごとく美しくきらめく目という意味だろうが、そのような可憐な目がかっと鋭い怒目と変ずるわけだ。



幸田露伴「毒朱唇」にも次のようにある。



《女はこれに柳眉を逆立て星眼を活と見ひらき……》



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徳田秋聲『仮装人物』に「柳眉を逆立てる」の用例がある。



《詰問する葉子の顔は、たちまち険悪の形相をおびて来た。ちょうど昔しの愚かな大名の美しい思いものが、柳眉を逆立て、わがままを言い募る時の険しい美しさで。庸三はこれには手向かうことができなかった。》



田中英光「野狐」にも「柳眉を逆立てる」の用例がある。



《桂子はハリキッた肉体を身もだえさせ、こんなに言った。
「さびしかったわ。時々、夜中に靴の音が聞えると、ひょっとあなたが帰ってきて下さったかと思って目が覚めるのよ」
「勿論、誰も好きなひとなんかできるはずがないじゃないの」
「浮気」彼女は柳眉を逆立てていう。》



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中里介山大菩薩峠』〈弁信の巻〉には「柳眉を釣り上げる」の用例がある。



《いやどうも危ないものです。そこでこんどは河岸をかえてお浜さんへ取りつきましたね。いい女でしたね、姦通をするくらいの女ですから、美しい女ではあるが、どこかきついところがありましたね。それもとどのつまりは『騒々しいねえ』といってお浜さんの手に持った物差でなぐられちまいました。どっちへ廻ってもこのピグミー、いたく器量を下げちまい、その後今晩まで閉門を食ったようなもので、この天井の蜘蛛の巣の中に、よろしく時節を相待っていたのは、弁信さん、あなたを待っていたようなものですよ。弁信さんならば、二尺二寸五分相州伝、片切刃大切先というような業物を閃かす気づかいはありません。柳眉をキリキリと釣り上げて、『騒々しいねえ』と嬌瞋をいただくわけのものでもなし、人間は至極柔和に出来ていらっしゃるに、無類のお話好きとおいでなさる。こうくればピグミーにとっても食物に不足はございません、さあ相手になりましょう、夜っぴてそのお喋り比べというところを一つ願おうじゃございませんか。》



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久生十蘭『魔都』の冒頭には「柳眉悲泣」という四字熟語が出てくる。



《甲戌の歳も押詰まって、今日は一年のドンじりという極月の丗一日、電飾眩ゆい東京会館の大玄関から、一種慨然たる面持で立ち現れて来た一人の人物。鷲掴みにしたキャラコの手巾でやけに鼻面を引っこすり引っこすり、大幅に車寄の石段を踏み降りると、野暮な足音を舗道に響かせながらお濠端の方へ歩いて行く。見上ぐれば、大内山の翆松の上には歯切れの悪い晦日の月。柳眉悲泣といった具合に引っ掛っている。》



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若い女性は基本的にはいつも笑顔である、あるいは笑顔であってほしいものだと希う。笑顔になると「オキシトシン」という愛のホルモンが分泌されるそうであるから、世界平和にとっても好都合である。女性にはいつも笑顔であってほしいと希うのが男性側・女性側双方に共通する願望である。



それにもかかわらず、女性も生きた人間である以上、常に男性側に都合のよいように媚びを打つ存在であろうはずもなく、ときには怒り、ときには嘆き悲しむのが天然自然の姿である。そして多くの場合、甘ったれた男性側に落ち度があって、そのような表情を導いてしまうのだから、まったくもってタチが悪い。笑顔になるように仕向けてみたり、怒目ないし悲泣に導いたりするのは、たいてい男性側のわがまま勝手に発するものである。というのも、そのように怒り嘆く女性にも惹かれてしまう男性があるからだ。性質が悪い。あげくのはてに「ヒステリー」などというもっともらしいが科学的には根拠のないレッテルまで貼りつけてくるわけだが、振り回される女性の側からしてみれば、迷惑千万の一言である。(むろん、女性に落ち度がある場合もある。)



男女の性差を外して、ふだんは怒らない温和な人が怒る場面というふうに定義をずらしてみてもおもしろいだろうが、ともあれ、文学テクストの中の泣いたり怒ったりする人間に焦点を据えてみると、一言では説明しきれぬ複雑で矛盾だらけの人間関係/人間関係の複雑な矛盾というものが一瞬のうちに浮かび上がってしまうだろう。そこがおもしろい。


コオウドクマイ




 孤 往 独 邁






周りや他人の動向に左右されず、自らの信じた生き方を突き進むこと。
「孤独」「単孤無頼」「単身孤往」「無縁孤独」ともいう。



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田山花袋『生』に用例がある。



孤往独邁尊い精神をも鼓吹せられたのだ》



田山花袋は『東京の三十年』にも「千朶木山房主人のような孤往独邁の気分に富んだ作者が尠かった」という用例を残しており、この四字熟語の使い手であった。



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正宗白鳥トルストイについて」にも用例がある。



《廿五年前、トルストイが家出して、田舎の停車場で病死した報道が日本に伝わったとき、人生に対する抽象的煩悶に堪えず、救済を求めるために旅に上がったという表面的事実を、日本の文壇人はそのままに信じて、甘ったれた感動を起こしたりしたのだが、実際は細君を怖がって逃げたのであった。人生救済の本家のように世界の識者に信頼されていたトルストイが、山の神を恐れ、世を恐れ、おどおどと家を抜け出て、孤往独遇の旅に出て、ついに野垂れ死にした径路を日記で熟読すると、悲愴でもあり滑稽でもあり、人生の真相を鏡にかけてみるごとくである。ああ、我らが敬愛するトルストイ翁!》



小林秀雄との有名な論争のきっかけとなった文章である。「偉大英雄に、われら月並みなる人間の顔を見附けて喜ぶ趣味が僕にはわからない。リアリズムの仮面を被った感傷癖に過ぎないのである。」という小林の批判はもっともすぎるくらいもっともなことだが、それでは白鳥の感嘆は説明できないところがなかなか難しい。抽象的でもありながら、ひどく具体的でもあったトルストイの晩年を解く鍵は、案外「孤往独邁」という四字熟語の中にあるのかもしれない。



というのは、白鳥が問題にした男にとっての女というテーマも、小林が拘泥する思想と実生活の問題にしても、結局切り離して理解するしかないという「孤往独邁」に辿り着くはずだからだ。小説家はそれを抽象化したがらず、批評家は抽象化したがるというふうに切り分けるのはさすがに粗野に過ぎようが、「孤往独邁」という四字熟語を用いたところに小林が見落とした白鳥のこだわりが透けて見えることはたしかだろう。



ということで、もう少し踏み込んでおくと、この「孤往独邁」という四字熟語を用いるとき、書き手の脳裏にはおそらく「無縁孤獨」あるいは「鰥寡孤獨」という四字熟語が浮かんでいたのではないか? と私は想像を逞しくしてみる。「鰥寡孤獨」という四字熟語は、妻のない男、夫のない女、父のいないみなし子、よるべのない老人などを意味する。縁故がない、つまり今日でいうところの「おひとりさま」なのであるが、たしかに白鳥はこの「おひとりさま」問題に何らかの文脈でぶつかっていたはずなのだが、小林はそこを探りそこねたと見なければならない。



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率直に白状すると、「孤往独邁」という四字熟語について、寡聞な私は上述以上に詳しく語れない。思想と実生活論争についてはなおのこと準備が不足している。前者についてわずかに知っていることと言えば、せいぜい「孤独」の語源の一つであるということや、「獨邁」という語が陶淵明に由来すること、「孤往」という語を森鷗外が『伊沢蘭軒』で用いているということぐらいなのであるが、これを四字熟語のかたちにして最初に用いたのがどこの誰で、それがどのように生成し展開してきたのか云々について、語誌として不明なことが多い。事実、四字熟語としてはどの辞書にも登録されていないようである。しかしながら、花袋や白鳥が使っていることは確実なので、その時代にもっと用例があってよいような気はしている。これより先は、頭を垂れて博覧強記の読者に教えを乞うほかにない。



ただ、花袋と白鳥を媒介するのも面白いだろうという予感は抱いている。白鳥が言っていることは、実はある意味そのまま花袋が『生』で格闘している問題と重なるのだ、と。これは小林秀雄はもちろんのこと、おそらくまだ誰も示唆していない課題であると思う。



もちろん、小林秀雄も頼りにならなければ、辞書も信用できないなどと、大上段を振りかざすつもりは毛頭ないし、そのような資格が私ごときには全くないことぐらいはよく承知しているつもりだ。だから、ここでは年来の疑問をぶつけてみて、あわよくば読者諸賢に教えを乞えないかという下心があるばかりで、せいぜい、四字熟語というものが時に意外な手がかりを与えてくれる! という感動をぼそぼそっと呟いてみたかったという、ただそれだけの下劣な動機に発する記事に過ぎないわけだが、いろいろの霊感・予覚がはたらくのである。


カンゼンムケツ




 完 全 無 欠






どこから見ても欠点がなく、完璧であること。
「完全無瑕」「完全無比」「完美無欠」「金甌無欠」「十全十美」「尽全尽美」ともいう。



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石川啄木「雲は天才である。」に用例がある。



《正真の教育者というものは、其完全無欠な規定の細目を守って、一豪乱れざる底に授業を進めて行かなければならない、若しさもなければ、小にしては其教える生徒の父兄、また月給を支払ってくれる村役場にも甚だ済まない訳、大にしては我々が大日本の教育を乱すといふ罪にも坐する次第で》



もちろん、これを啄木自身の声と同一化することは性急である。むしろ啄木の仮想敵とみたほうが適切である。それはどこで分かるか。なるほど、啄木を思わせる若い代用教員が自作の歌を歌わせていて、それを校長が説教している場面がここだという説明はある。しかし、あらゆる人物が書き手の声を分有しているという理屈がある以上、そのような作家論はもはや成立しない。



ここでは四字熟語を起用してしまった書き手の無意識に迫る方が手っ取り早いだろう。「完全無欠」という四字熟語は「完全」と「無欠」という同義の二字熟語をわざわざ重ねた大袈裟な語彙である。そのような大袈裟な語彙を潜ませることで、暗に校長の説教の馬鹿馬鹿しさを衝こうとする書き手の批評が垣間見えるのだ。



校長の言うような「完全無欠」な教員がいたら、息が詰まるし面白くないという批判が四字熟語のうちには潜在している。そう思わせてしまう力が、この四字熟語にはそもそも宿っているのだ。書き方の巧拙はともかく、誇張し強調しすぎるとかえって滑稽になってしまう、その滑稽を笑おうとする書き方の一つであり、四字熟語をそういう観点から眺めることも必要ではないかと考えさせてくれる。



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国木田独歩「富岡先生」にも用例がある。



《もし梅子嬢の欠点を言えば剛という分子が少ない事であろう、しかし完全無欠の人間を求めるのは求める方が愚である、女子としては梅子嬢の如き寧ろ完全に近いと言って宜しい、或は剛の分子の少ないところが却て梅子嬢の品性に一段の奥ゆかしさを加えておるのかとも自分は思う。》



先の校長のように「完全無欠」を求める言説がある一方で、それを求めるのは愚であるという批評的な言説もかなり一般化されていたのではないか。しかし、ここでは、口ではそう言ってもやはり「完全無欠」を求めている気もしないでない。



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樋口一葉「日記」〈明治26年2月6日〉には次の用例がある。



こゝろざすは完全無瑕の一美人をつくらんの外なく、目をとぢて壁にむかひ、耳をふさぎて机に寄り、幽玄の間に理想の美人をもとめんとすれば、天地みなくらく成りて、そのうつくしき花の姿も、その愛らしきびんがの声も、心のかゞみにうつりきたらず。……かくまでに我恋わぶる美人は、まさしく世の中にあり得べからざるか。もしは我れに宿世の縁なくして、凡俗の花紅葉ならでは我心の目にうつらざるか。もしは天地の間に誠の美といふものあらざるか。もしは我が眼に美ならずとみるものまことの美か。》



完全無瑕の美人なるものは存在するのか。存在しないのか、存在するのに気づいていないだけなのかと懊悩しながら、一葉女史は完全無瑕の美人の創造を志すわけである。



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三島由紀夫「班女」(『近代能楽集』)にも用例がある。



《あの人は完全無欠な、誰も動かしようのない宝石なんです。》



いかにも三島的な用例である。



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夢野久作「笑う唖女」にも用例がある。



《……それは彼の生れて初めての過失であると同時に、彼の良心の最後の致命傷であった。
 その後、その重大な過失の相手である唖女のお花が行衛不明となり、そのお花の言葉を理解し得るタッタ一人の父親、門八が、彼女を無くした悲しみの余りに首を縊って死んだと聞いた時には彼は、正直のところホッとしたものであった。最早、天地の間に彼の秘密を知っている者は一人も無い。この僅かな秘密の記憶一つを、彼自身がキレイに忘れて終いさえすれば、彼は今まで通りの完全無欠の童貞……絶対無垢の青年として評判の美人……初枝を娶る事が出来るのだ。》



最近はセクシュアリティ研究の分野で童貞についての歴史的な研究も進んできている印象だが、この「完全無欠の童貞」という奇妙な表現に着目してみても面白いのではないかと考えている。言葉の厳密な意味では、不完全な童貞などというものは存在しないはずだが、先ほどの校長のことば同様、そこがあえて強調されるから滑稽なのであろう。



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以上の用例は少なすぎるが、これらを参考にしただけでも、「完全」にわざわざ「無欠」を足した「完全無欠」という四字熟語が、実現不可能であるだけに文学者にとって目指すべき理想ともなりうる反面、多くの場合、滑稽に堕してしまうといった凡庸な結論くらいは導ける。ただ、それを自覚している分かりやすい例ならばまだしも、無自覚に「完全無欠」を要求してしまう言説、「完全無欠」を要求していないようで要求している言説については、もっと分析してみる余地があるかもしれないと考えさせてくれる。



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補遺:最近読んだ話題の評論からも新しい用例を追加しておきたい。



福嶋亮大神話が考える ネットワーク社会の文化論』からの用例である。



《法律家・経済学者のイアン・エアーズは、膨大な情報を持つデータベースを駆使した回帰分析によって、専門家も顔負けの正確な数値を割り出せる例をいくつも挙げている。エアーズによれば、ワインの品質予測から医療の現場に到るまで、過去のデータの堆積によって、専門家のバイアスのかからない、より中立的な解答を導き出すことができるという。領域によっては、専門家以上にデータが正しい答えを知っているという事実は、私たちの意思決定にも大きな影響を及ぼし得る。むろん、それにしたところで完全無欠というわけではないが、データの弾き出す解答を頭ごなしに無視することは、もはや得策ではない。》



福嶋氏は1981年生まれ。宇野常寛ゼロ年代の想像力』や濱野智史アーキテクチャの生態系』と並ぶゼロ年代最後の大物評論家であり、ポスト東浩紀あるいはポスト宮台真司との呼び声も聞こえる気鋭の論者であるらしい。



そのような著者に以下のような分析は極めて不本意だし失礼なのかもしれないとは思いつつ、彼が近ごろには珍しく、割に四字熟語を多用する論者であると言うところに目を止めてみる。たとえば、今回の「完全無欠」もお気に入りのようで、「あとがき」にも次のように出てくる。



《……本書は「神話」という概念をコンパクトなやり方で説明した、より形式的なマニュアル本になるはずだった。その意図が達成されなかったのは、ひとえに著者の力不足によるものである。とはいえ、ここまでの議論の内容を踏まえるならば、完全無欠のモデルを提出すること以上に、物事を継続的に観測していく足場をセットすることのほうが、現代においてはより本質的だとも言えるだろう。……》



高精度のシミュレーションやデータベースによって、今や人間不在のうちに「完全無欠」にも近づけるという何とも恐るべき今日の状況を説明する最初の引用。そして、それとここに引いた最後のあとがきとは、見事なまでに“相互参照的”な関係を取り結んでいるだろう。それは「ここまでの議論を踏まえるならば」というエクスキューズはむろんのこと、「完全無欠」という四字熟語による媒介によって知れる。四字熟語は、このようにも役に立つのである。ともあれ、通常の意味での「筆者の力不足」でないことは言うまでもない。しかるに、ここには中立的な解答に徹しきれなかったという意味だけが残るのであるが、しかしそれについてもすでに十分な自己言及が用意される評論なので、隙がなくて心憎く、洒脱であると感じた。



たしかに、一番のキーワードである「神話」という語をあえて定義しなかった点に批判は集まることが予測されるが、しかし、すでにレヴィ=ストロースボードリヤールといった大御所が存在していたわけだし、「蛸壺化」を回避するためにも、何かを包み込むといったことを意味する、すなわち「生成の磁場」を指示する最重要語についてのみは「あえて定義しない」「定義できるが、しない方がよいこともある」といったスマートな戦略があることを、読者の側でもきちんと許容できる態度が求められるのではないだろうか。



ともあれ、四字熟語の話に戻って、やや妙な角度から、この良著を推薦してみる次第である。