リュウビトウジュ




 柳 眉 倒 豎






若くて美しい女性が感情的になって怒りをあらわにする様子。
「横眉怒目」「張眉怒目」「柳眉を蹴立てる」「柳眉を逆立てる」「柳眉を釣り上げる」などともいう。



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文康『兒女英雄傅』〈五〉が出典とされるが、残念ながら未見である。



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曲亭馬琴椿説弓張月』〈續・四十〉に「柳眉を蹴立てる」の用例がある。



柳眉を蹴立る星眼尖く、百万騎の大軍をも、おそれつべき気色なければ……》



漢文脈を踏まえるならば、「柳眉」と「星眼」とがいわばセットであることは自明のようで、本邦でも江戸から明治初期あたりまではこの慣用は保たれていたと推測される。「星眼」は、星のごとく美しくきらめく目という意味だろうが、そのような可憐な目がかっと鋭い怒目と変ずるわけだ。



幸田露伴「毒朱唇」にも次のようにある。



《女はこれに柳眉を逆立て星眼を活と見ひらき……》



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徳田秋聲『仮装人物』に「柳眉を逆立てる」の用例がある。



《詰問する葉子の顔は、たちまち険悪の形相をおびて来た。ちょうど昔しの愚かな大名の美しい思いものが、柳眉を逆立て、わがままを言い募る時の険しい美しさで。庸三はこれには手向かうことができなかった。》



田中英光「野狐」にも「柳眉を逆立てる」の用例がある。



《桂子はハリキッた肉体を身もだえさせ、こんなに言った。
「さびしかったわ。時々、夜中に靴の音が聞えると、ひょっとあなたが帰ってきて下さったかと思って目が覚めるのよ」
「勿論、誰も好きなひとなんかできるはずがないじゃないの」
「浮気」彼女は柳眉を逆立てていう。》



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中里介山大菩薩峠』〈弁信の巻〉には「柳眉を釣り上げる」の用例がある。



《いやどうも危ないものです。そこでこんどは河岸をかえてお浜さんへ取りつきましたね。いい女でしたね、姦通をするくらいの女ですから、美しい女ではあるが、どこかきついところがありましたね。それもとどのつまりは『騒々しいねえ』といってお浜さんの手に持った物差でなぐられちまいました。どっちへ廻ってもこのピグミー、いたく器量を下げちまい、その後今晩まで閉門を食ったようなもので、この天井の蜘蛛の巣の中に、よろしく時節を相待っていたのは、弁信さん、あなたを待っていたようなものですよ。弁信さんならば、二尺二寸五分相州伝、片切刃大切先というような業物を閃かす気づかいはありません。柳眉をキリキリと釣り上げて、『騒々しいねえ』と嬌瞋をいただくわけのものでもなし、人間は至極柔和に出来ていらっしゃるに、無類のお話好きとおいでなさる。こうくればピグミーにとっても食物に不足はございません、さあ相手になりましょう、夜っぴてそのお喋り比べというところを一つ願おうじゃございませんか。》



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久生十蘭『魔都』の冒頭には「柳眉悲泣」という四字熟語が出てくる。



《甲戌の歳も押詰まって、今日は一年のドンじりという極月の丗一日、電飾眩ゆい東京会館の大玄関から、一種慨然たる面持で立ち現れて来た一人の人物。鷲掴みにしたキャラコの手巾でやけに鼻面を引っこすり引っこすり、大幅に車寄の石段を踏み降りると、野暮な足音を舗道に響かせながらお濠端の方へ歩いて行く。見上ぐれば、大内山の翆松の上には歯切れの悪い晦日の月。柳眉悲泣といった具合に引っ掛っている。》



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若い女性は基本的にはいつも笑顔である、あるいは笑顔であってほしいものだと希う。笑顔になると「オキシトシン」という愛のホルモンが分泌されるそうであるから、世界平和にとっても好都合である。女性にはいつも笑顔であってほしいと希うのが男性側・女性側双方に共通する願望である。



それにもかかわらず、女性も生きた人間である以上、常に男性側に都合のよいように媚びを打つ存在であろうはずもなく、ときには怒り、ときには嘆き悲しむのが天然自然の姿である。そして多くの場合、甘ったれた男性側に落ち度があって、そのような表情を導いてしまうのだから、まったくもってタチが悪い。笑顔になるように仕向けてみたり、怒目ないし悲泣に導いたりするのは、たいてい男性側のわがまま勝手に発するものである。というのも、そのように怒り嘆く女性にも惹かれてしまう男性があるからだ。性質が悪い。あげくのはてに「ヒステリー」などというもっともらしいが科学的には根拠のないレッテルまで貼りつけてくるわけだが、振り回される女性の側からしてみれば、迷惑千万の一言である。(むろん、女性に落ち度がある場合もある。)



男女の性差を外して、ふだんは怒らない温和な人が怒る場面というふうに定義をずらしてみてもおもしろいだろうが、ともあれ、文学テクストの中の泣いたり怒ったりする人間に焦点を据えてみると、一言では説明しきれぬ複雑で矛盾だらけの人間関係/人間関係の複雑な矛盾というものが一瞬のうちに浮かび上がってしまうだろう。そこがおもしろい。