キヨホウヘン




 毀 誉 褒 貶






世間からほめたり、けなされたりされること。
「雲翻雨覆」「翻雲覆雨」ともいう。



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木下尚江『火の柱』に用例がある。



《――姉さん、貴嬢は今ま始めて凡ての束縛から逃れて、全く自由を得なすつたのです、親の権力からも、世間の毀誉褒貶からも、又た神の慈愛からさへも自由になられたのである、今は貴嬢が真正に貴嬢の一心を以て、永遠の進退を定めなさるべき時機である、》



自由になるためにはさまざまな束縛から解放される必要があるが、その一つが親の権力であり、もう一つが世間の毀誉褒貶であるが、もう一つ、神の慈愛というところが面白い。



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泉鏡花「海城発電」からも引用してみる。



《(略)既に自分の職務さへ、辛うじて務めたほどのものが、何の余裕があつて、敵情を探るなんて、探偵や、斥候の職分が兼ねられます。またよしんば兼ねることが出来るにしても、それは余計なお世話であるです。今貴下にお談し申すことも、お検べになつて将校方にいつたことも、全くこれにちがひはないのでこのほかにいふことは知らないです。毀誉褒貶は仕方がない、逆賊でも国賊でも、それは何でもかまはないです。唯看護員でさへあれば可。しかし看護員たる躰面を失つたとでもいふことなら、弁解も致します、罪にも服します、責任も荷ふです。けれども愛国心がどうであるの、敵愾心がどうであるのと、左様なことには関係しません。自分は赤十字の看護員です。」
 と淀みなく陳べたりける。看護員のその言語には、更に抑揚と頓挫なかりき。》



毀誉褒貶の大半は的外れであることも多い。的外れなレッテル貼りに動揺せず、自分の信念の通りに進まなければならない職業の一つに看護師があるのだろう。



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宮本百合子「近頃の感想」にも用例がある。



《私がブルジョア作家として仕事をしていた頃は、ブルジョア文壇の当然の性質として批評は主観的な印象批評が多かった。私は、個人的なものの考え方で、すべての毀誉褒貶を皆自分のこやしとして、自分が正しいと思う方へひたすら伸びてゆくこと、そして、よかれあしかれ自分の生きっぷりと、そこから生れる仕事で批評をつき抜いて行くこと、それを心がけとしてやっていた。
 幸にも、そのやぼな生活力で、おぼつかないながら一つの発展の可能性をとらえ、プロレタリア文学運動に参加するようになってからは、そういう個人的な考えかたはなくなった。たとえば、過去において、私がもっともいいたいことを持っていた例のつむじ風時代に、あえて私が黙っていたのは、かりにも一つの団体の中で、自分の熱情の幼稚な爆発のために混乱を一層ひどくし、且つそれを個人的なものにしてはいけないと考えたからであった。
 この頃になって、私はそこからもう一歩出た心持でいる。自分の書くものに対して与えられるものとは限らず、批評のあるものに対しては、必要に応じて自分の見解をあきらかにしてゆくのが本当の態度であろうと考えている。
 なぜなら、作家にとっては書くものと実生活との統一において、いわば私的生活というものはないし、社会との関係にあっては作家は常に公の立場にあるものである。また批評も本来は対象を個人にのみ置くものでない。そして私は、本質上、プロレタリア文学の領域にしか、文学を全体として押しすすめる客観的批評は確立し得ないものであることを、近頃ますますつよく信じるからである。》



世評にいかに対処するか。これは文学者が常に悩まされてきた宿痾である。文学者は、看護師、俳優や音楽家のように、100%感謝されたり賞賛されたりという機会がほとんどない。文学においては完全なる傑作というものがあり得ないからだ。代わりにあるのは、「毀誉褒貶」か「罵詈雑言」であって、それでもまだましな方と言えて、たいていは「無視・黙殺」という憂き目に遭う。



宮本百合子の態度は、立派に過ぎる。こやしにするにせよ、沈黙は金にせよ、冷静に自分の見解を明らかにするにせよ、立派だなあと半ば感心し、半ば惘れてしまう。さらっと受け流すという選択肢はないのだろうか。もっとも、現実には、自身の分身である作品に関する批評をさらっと受け流すというわけにもいかないというのが実状なのだろう。正宗白鳥は「口先や筆先では毀誉褒貶に超然としているらしく見せかけていても、文壇人は俳優や音楽家と同様、人気を気にするのが普通である」(「旧友追憶」)と言っているが、なるほどそういうものなのだろう。