イントクヨウホウ




 陰 徳 陽 報






見えないところで善行を積む者には、必ず目に見える結果がついてくるという教え。
「陰徳恩賜」「于公高門」「善因善果」「不言実行」「陰徳あれば陽報あり」などともいう。



  ★



「陰徳陽報」の典拠は『註千字文』『韓詩外伝』『呂氏春秋』『准南子』『説苑』など、さまざまある。



李暹『註千字文』の「知過必改、得能莫忘」の箇所に註された「陰徳陽報」は、今日では日本だけに伝わるものであるようである。



そこでは、秦の穆公が馬を盗んだ五人の盗賊たちを死罪とすべきところ、酒をふるまい特赦したことによって、後日盗賊たちが穆公に恩返しをした際に、穆公が述べたというふうに『呂氏春秋』の故事を紹介している。



  ★



劉安編『淮南子』〈人間〉の例も、この語を広く知らしめるのに貢献した。



《夫有陰徳者必有陽報。有陰行者、必有昭名。》
 (夫れ陰徳有る者は、必ず陽報有り。陰行有る者は、必ず昭名有り。)


「昭名」の「昭」は「明」に同じ、「名」は「名誉、ほまれ」のこと。陰徳がある者は必ず明らかなよい報いがあるし、陰行がある者は明らかな誉れがあるという。



  ★



劉向編『説苑』〈復恩〉の例は、陽報を具体的に子孫の繁栄としている。



《陰徳有る者は必ず其の楽を饗けて以つて其の子孫に及ぼす。》



その後「陰徳は末代の宝」ということわざが生まれるようになるが、その淵源であろう。そして、こうした先祖の陰徳を子孫が陽報として享受する例は、当然のことながら『蒙求』のいわゆる「于公高門」(「于公門閭を高大にす」)の故事なども想起させる。



  ★



李瀚編『蒙求』によれば、フェアな裁判を常に心がけていた漢の時代の丞相・于公が、そうした日ごろの陰徳がいずれ子孫の繁栄につながると予測して、村の門をあえて高大なものにしておいたところ、はたしてそのとおり、息子の定国が宰相にまで上り詰めるなどして、高門にふさわしい一族の繁栄を見せたということである。



空海三教指帰』は「陰徳」という語から、この于公の故事と、墓の掃除をしながら息子の帰りを待った厳母の故事を連想しているので、陰徳とこうした子孫や家族の繁栄を結びつける話型は広く普及していたと推察される。



  ★



日蓮「陰徳陽報御書」には、次のようにある。



《さきざき申し候いしやうに陰徳あれば陽報ありと申して、皆人は主にうたへ主もいかんぞをぼせしかどもわどのの正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじやうにしてすれんをすすればかかるりしやうにもあづからせ給うぞかし此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ》



「陰徳陽報」は、もともと儒教の流れにある教えであるが、この御書の存在があるため、特に日蓮宗で大切な教えとして伝えられているようだ。



日寛が『千字文註』を引用し、穆公の故事を紹介していることなどからも、そのことがうかがえる。



  ★



浅井了意『浮世物語』のような仮名草子にも、用例はある。



《日夜常に忠と孝との二つによりて、是を思ふ事忘れざるは、たとひ人知らずといへども天必ずこれを知ろしめす。陰徳あれば陽報ありとは此事をいふなり。》



やはり忠孝と結びつけられているところに、日本的受容の特徴があるのだろう。



  ★



柄井川柳ほか『誹風柳多留』の川柳は、真面目すぎる教えを逆手にとって笑う例。



《陰徳をほどこし過ぎて下女はらみ》



低俗ではあるが、陰は淫に通ずというのが、江戸の笑いである。



  ★



古典や仏典に用例が多く、近代の作家の用例は、古典に精通する幸田露伴のような人を除けば*1、さほど多いとは言えないようだ。しかし、これからはもっと新しい角度から再評価が進んでもよい知恵であるように思われてならない。



イヴァン・イリイチの「シャドウ・ワーク」という概念が、ビジネスの世界でも注目を集めるようになっている*2。この古めかしく見える四字熟語に新しい光を当てるのも悪くない感触が私にはある。








*1:露伴はズバリ「陰徳陽報」という題の文章を残しているし、有名な『努力論』の「惜福」「分福」「植福」にも「陰徳陽報」思想の影響が見られる

*2:I・イリイチシャドウ・ワーク―生活のあり方を問う (岩波現代文庫)』および一條和生・徳岡晃一郎『シャドーワーク―知識創造を促す組織戦略』などを参照のこと。