ムショジュウシン




 無 所 住 心






禅語。一点だけに集中するのではなく、心を空寂にし、注意が森羅万象に応じて全方位にあまねく漲り渡るようにする心構えを言う。類義語は「応無所住而生其心」(オウムショジュウ ニショウゴシン)、反対語は「一所懸命」「一点集中」である。



金剛般若教「応に住する所無くして、其の心を生ずべし」(應無所住而生其心)が出典である。



 ★



中井正一「日本の美」に用例がある。



《万葉の「さやけさ」の美しさ、古今の「物のあわれ」の美しさ、中世における「わび」「すき」の美しさ、江戸の「いき」の美しさ、その美のあらわれかたはいろいろありましたが、しかしその根底に流れているものをつきつめてみれば、さっぱりとした、きれいなもの、切実であるがゆえに、こころのかざりなく、ただすなおな、ただ何もない虚ろかと思われるほどの、深い緊張といったようなものが、うかがわれるのでありました。かかる芸術の生まれいでるこころを、いずれの時代の芸術家も、「無所住心」(住みつく所なきこころ、何らかの一つ所に住みつかぬすがすがしい軽いこころ、無限なる自由の魂)といっていました。
 江戸の俳人支考も、連句のつけかたを「はしり」「ひびき」「におい」といって、さらにつけ加え、「無所住心のところより付きたらば、百年の後無心の道人あって、誠によしといはむ、いとうれしからずや」といっています。前の句を、このすみつくところなき、無限なる自由のこころをもって受けとる時、みずからいでくる付句を軽くつける時、もし百年の後に、その付句を読んでくれた人が、やはり無限の自由のこころでもってこそ理解して、まことによしといってくれたなら、どんなにうれしいことであろうというのであります。
 この無限なる自由なこころ、一つのところに住みつかぬ、流動してやまぬ生きたはずみのきいているこころ、これを日本民族は、美しい魂といっていたのであります。》



上野俊哉ディアスポラの思考』は中井正一のこうした「無所住心」を「ディアスポラ」(離散者)という方向に巧みに読み替えていくのだが、少なくとも中井正一も含めていわゆる「一所懸命」とは反対の心性を日本文化に求めていくことが常に必要だと私も考える。



 ★



内田魯庵芭蕉庵桃青伝』にも用例が見える。
《俗伝に芭蕉此に災に遭うて、猶如火宅の変を悟り、爰に無所住の心を発したりと雖も、二十三歳致仕して流寓漂蕩し、相応の惨辛を嘗めしものが、今更に眼の覚めし如く初めて猶如火宅の変を悟るといふも、余りに附会に過ぐ。されど此変が更に人生の悲観を味はしめたるは推測するに難からざるなり。此時芭蕉は急火に囲まれ、身を潮水に投じ藻を被きて難を避けたりと云ひ、或は蓬をかつぎて火煙の中助かりぬとも云へど、恐らくは詩的形容に過ぎざるべし。人家填充して一寸の余地なき繁華の市ならば知らず、当時の片鄙なる深川に於て、いかで水に入て火を避くるほどの事あるべき。されど又流離困頓の末漸く我が所住を定めしものが、再び災殃の犠牲となりしは、左らぬだに無常の感多き芭蕉をして、殊に一層厭世の念を高めしめたるや明らけし。》
「無所住心」は究極のところ、やはり芭蕉に行き着くであろう。そして、いわゆる天和の火難(芭蕉庵の焼失)一点に芭蕉の「無所住心」の在処を求めるのではなく、それ以前の「流遇漂蕩」から生涯に渡るまで芭蕉の人生にあまねく「無所住心」を見ようとする魯庵の態度もまた「無所住心」であって、私はかつてたいそう感心させられたものである。もっとも、古典に通暁している人ならば、これが「芭蕉翁終焉記」あたりの書物を参看したのだということをたちどころに見抜いてしまうのであろうが、誰の指摘であろうとも、その考え方がたいそう参考になるということは言っておきたいと思う。



一つところにこだわらず、あらゆるものをあるがままに受け入れる「無所住心」。私の座右の四字熟語の一つである。