エイギョクインセイ




 鄙 曲 淫 声






田舎くさくて、洗練されていない音楽のこと。
「雅曲正声に非ず」と同じ。



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幸田露伴「音と詞」に用例がある。



《古来の鄙曲淫声は遠離せられ、天晴れ明治の瑞雲和気の間より雍々と煕々たる正楽の起るべき機運にむかへり。噫楽しい哉》



日本の音楽が西洋音楽に比して劣っているということはない。あるのは、西洋音楽を受容する過程で邦楽を「鄙曲淫声」化してしまうという“政治”である。しかも押しつけられるのではなく、自らすすんでそうしようとする自発性が曲者だった。



細川周平は「彼は明治の新音楽樹立という上野の教育者が口をすっぱくして述べていた目標を言い立て」ると述べているが、恐らくその通りだろう。



文化を豊かにするためには「文」になる以前のものを貪欲に吸収する姿勢が欠かせないが、明治以後の音楽受容について言えば、雅曲正声に非ざるものを土俗やノイズとして追いやるのではなく、むしろ積極的に攝取することが大事だっただろうと思う。もっと新しい試みができたかもしれないのに、邦楽としても洋楽としても歪で中途半端なものになってしまったところがないでもない。いや、これは独り言である。