タイガンジョウジュ




 大 願 成 就






神仏のご加護によって大きな望みがかなうこと。
「大願」の読み方は通例「タイガン」だが、「ダイガン」とも読むようだ。



武者小路実篤『真理先生』の中に「大願成就」について演説するくだりがある。
非常に長いくだりだが、下手にコメントをすると論旨を歪曲しそうで怖いし、「大願成就」を語る用例では他に比類のない圧倒的なボリュームと迫力、そしてその独特な語りとを感じ取ってほしいと考えるので、ここはただ本文をして自らを語らしむることに徹したいと思う。



《「先生、大願成就と言う言葉に就て何か話して戴けませんか」
 「話してもよろしい」
  先生はそう言って静かに話し出した。
 「一昨晩だった、夜半に目が覚めていろいろのことを考えていた時、ふとこの大願成就と言う文句が脳裏に浮んだ。それで翌日山谷さんが見えた時、誰かいい書家を知りませんかと聞いたら、山谷さんが泰山と言う書家がいる。あの有名な白雲子の弟さんで、兄さんとはまるでちがった所のある、自分の世界を持って、精進してやまない人だと言うことを聞いたので、書いていただいたのです。それがこの字です。なぜ私がこう言う字をかいてもらいたくなったかと言うと、私には一つの大願があるのです。とてもこの世では大願が成就されるとは思わないのですが、大願成就することを祈る事は出来る、死ぬ時も私はこの大願成就を祈って死ぬことが出来る。私は大願成就をいつも祈っていたいと思っているのです。私の大願は、すべての人が人間らしく生きられると云う事です。耶蘇は神の国とその義を求めました。私はすべての人が人間らしく、自分の本来の生命をそのままに生かせる世界を望んでいるのです。今のように正直者が生きてゆけなかったり、他人を憎悪しないではいられなかったり、自己を歪にしないでは生きていられない時代には、なお更、この大願を持たないわけにはゆかないのです。君達も、人間が人間らしく生きられる世界が来る事を望むでしょう。殺される心配のない、自己を曲げる必要のない、強制されることがない、誰にも侮辱されず、自分を美しく生かす事が出来る世界、それを内心望まない人はないと思います。この望みを成就する為に私達は働きたいと思っているのです。つまり私達が自己を行かすのも、自分の考を言うのも、この大願成就を望んでいるからです。先ず自分を人間らしく生かそう。自分を生き甲斐のある人間にしよう。そして皆の生命が素直に生きる世界を築き上げよう。つまり大願成就の為に協力しよう。そう思ってこの字をかいてもらったのです。大願成就をいつの時にも忘れたくない、私はそう思っているのです。皆さんはそうは思いませんか」
「勿論思いますが、それにはどうしたら一番いいかがわからないのだと思います」
「それは勿論方法も大事です。しかし本当に真心から大願成就を願っている人が何人いますか。理窟でなしに、真心から、不純な動機でなしに純な純な純な動機から大願成就を願っている人が何人いますか。私はそう言う人が、この日本に一人でもいたら、私はその人の前に涙をながして、頭を下げるでしょう。私なぞはまだまだ至らない人間だが、しかし私以上に大願成就を心から願っている人が、一人居るか居ないか、私は知らない。私はいないとは勿論思わない。しかし居るとも思わない。世界には二人や三人はいるかと思う。だが私はもっともっとそう言う人が出て来なければならないと思うし、自分ももっともっと真剣に大願成就を願わなければならないと思う。私は戦争は勿論恐ろしい、そして人殺しはどんな理由でも恐ろしい。他人を平気で強制する者も恐ろしい、真に恐ろしくない世界、それでいて益々大願成就を目指して一歩々々近づいてゆく世界、真の意味の自己完成を目指して進んでいく世界、私はその為にこつこつ平和な道で進んでゆくものを讃美したい。そしてそれ等の人の末席に伍して進んでゆきたい。その為に働きたい。その自分の心を鼓舞したいと思ってこの字を書いてもらったのです。この字は大願成就を望んでいる一人の男が全力を出して書いたものと思える。勿論その人は自分の世界に入りすぎているようだが、自分の世界で精進してやまない人であろう。私はそう言う人も尊敬するが、すべての人がそうなり得る世界がくることを望まないではいられない。そして又皆にもっともっと強く強くそう言う世界がくる事を望んでもらいたい。真心と、真理の力を私は信じている。私の至誠の足りないことを反省しながら、大願成就を祈るのである」》