ソウギョウシュセイ




 創 業 守 成






「創業は易く、守成は難し」あるいは「創業は難く、守成は更に難し」の略。
新しく事業を興すことは易しいが、それを守り維持していくことは難しいという意。
「創業守文」「草創守文」とも。



呉兢撰『貞観政要』が出典である。
今から千三百年も前の唐の時代。名君子の誉れ高い太宗皇帝は侍臣たちに尋ねた。「創業と守成と孰れか難き」と。つまり、王朝を打ち立てるのと、それを維持していくのとでは、どちらが難しいか、というわけだ。これに対し、房玄齢は「創業」と答え、魏徴は「守成」と答える。そこで太宗は言った。創業の困難はもう過ぎ去ったことだから、これからは力を合わせて王朝を維持していこう、と。



これは政治家や会社の社長など、人の上に立つ人間がぜひとも肝に銘じておくべき必修の四字熟語と言えるだろう。たとえば、谷沢永一・渡辺昇一の『上に立つ者の心得  『貞観政要』に学ぶ』(致知出版社)という対談は、『貞観政要』および「創業守成」の大切さを次のように力説している。
渡辺 (……)信長の悲劇は『貞観政要』を読まなかったこと。秀吉も読まなかった。家康に至ってようやく読んだわけです。その結果は歴史が証明していますね。
 谷沢 ええ。結果として『貞観政要』を読んで学んだ北条、足利、徳川というのは永続している。守成の難きことを学んだんですな。》



創業の困難も並大抵ではないが、しかしそこでは新たなことに挑戦する喜びや成功するための野心、勢いといった刺激、モチベーションを駆動源にすることができる。創業は、何より、格好いい。多くの天才や英雄、芸術家や革命家、起業家、政治家が揃いも揃って「創業」タイプであるのは、まさにこのために他ならない。それに対して、完成したものを継承し、維持することはどうしても地味に映るし、退屈でもある。だから、そこに慢心が付け入る隙ができてしまう。本当は自制心と忍耐力が問われるさらに難しい事業だという自覚と誇りが必要なのだが、それがなければ、必ず失敗するようにできているのだ。
最近は「持続可能な」(sustainable)という言葉が注目されているようだが、このことは、大は地球環境から、小は日常生活に至るまで、ありとあらゆるレヴェルで「守成」の見直しが必要となってきていることを意味してはいないだろうか。



もちろん「守成」には悪いニュアンスで使われることもないではない。
たとえば、田中正造の「亡國に至るを知らざれば之れ即ち亡國の儀に付質問」という明治政府批判は、皮肉がたっぷりと効いている。
《今日の政府――伊藤さんが出ても、大隈さんが出ても、山縣さんが出ても、まア似たり格恰の者と私は思ふ、何となれば、此人々を助ける所の人が、皆な創業の人に非ずして皆な守成の人になつてしまひ、己の財産を拵へやうと云ふ時代になつて來て居りますから、親分の技倆を伸ばすよりは己の財産を伸べやうと云ふ考になつて、親分が年を取れば子分も年を取る、どなたが出てもいかない。此先きどうするかと云へば、私にも分らない。只だ馬鹿でもいゝから眞面目になつてやつたら、此國を保つことが出來るか知らぬが、馬鹿のくせに生意氣をこいて、此國を如何するか。》
しかし、このような“守成”が、本来の「守成」から程遠いことは言うまでもない。「守成」の本義は、あくまで「創業」と同じか、むしろそれ以上のエネルギーと情熱とを惜しまず投入することを求め、最高の治世を持続可能にせんとするものだからである。



事実、福沢諭吉徳育如何」には、次のような用例もある。
《されば我々年少なりといえども、二十年前の君の齢にひとし。我々の挙動、軽躁なりというも、二十年前の君に比すれば、深く譴責を蒙るの理なし。ただし、君は旧幕府の末世にあたりて乱に処し、また維新の初において創業に際したることなれば、おのずから今日の我々に異なり。、我々は今日、治世にありて乱を思わず創業の後を承けて守成を謀る者なり。時勢を殊にし事態を同じゅうせずといえども、熱心の熱度は前年の君に異ならず。けだしこの熱は我々の身において独発に非ず。その実は君の余熱に感じて伝染したるものというも可なり云々と、利口に述べ立てられたらば、長者の輩も容易にこれに答うること能わずして、あるいはひそかに困却するの意味なきに非ざるべし。》
「治世にありて乱を思わず」ではなく、「熱心の熱度は前年の君に異ならず」というのが、本当の「守成」というべきものである。



「守成は難し」と説いた魏徴は、『詩経』の「戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し」を引いていた。明治はもう過ぎ去った時代だからともかくとして、支持率が低迷しているどこかの為政者にも改めて噛みしめて頂きたい言葉だと思うのだが、さて、いかがなものであろうか。