ホウゾウカシン




 包 蔵 禍 心






悪い企みを心に隠し持つこと。「包蔵」は包み隠すこと、「禍心」は悪い計画を企むこと。「包蔵」の代わりに「暗蔵」「隠蔵」「深藏」「内蔵」「窩藏」等を用いることもある。



出典は『春秋左氏伝』昭公元年の「将恃大国之安靖己、而無乃包蔵禍心以図之」である。これを書き下すと「将た大国の己を安靖するを侍んで、而も乃ち禍心を包蔵し、以て之を図る無らんや」となる。「小国は大国を頼りにして平和を望んでいるのに、大国には邪心があるではないか」といった意味だ。
ちなみに、このお話のあらましは、大略こんな感じである。小国の鄭の公孫段は、自分の娘を大国の楚の公子圍の妻にしようとした。両国の絆を深め、大国の庇護の下、小国である自国の平和を目指したのである。が、公子圍は結婚にかこつけて鄭を侵略しようと考えていた。しかし、鄭の公孫段はその下心を察知していた。兵を多く引き連れて娘を迎えにきたが、「包蔵禍心」の四字熟語を用いて、城内へ入れることを拒否。そして、侵略の意図がないことを誓約させる……。



「パォ、ツァン、フォ、シン」
漢文、そして中国語はともかく、今日のわが国では四字熟語のかたちではなく、「禍心を包蔵す」という風にほぐして(訓読して)使用されるケースが多いように感ずるが、どうであろうか。



勝海舟『氷川清話』に用例がある。
《彼がいうのは、「とかく幕府は薩摩を憎んで、みだりに疑いの眼をもって、禍心を包蔵するように思うには困る」というから、おれは「幕府のつまらない小役人どものことだ。幕府にも人物があろうから、そんなことは打っちゃっておきたまえ。かようのことに懸念したり、憤激したりすのは、貴藩のために決してよくない」といったら、彼も「承知した」といったっけ。》
ちなみに「彼」というのは、西郷隆盛である。なお、これに続いて有名な坂本龍馬の西郷評が出てくるので、引いておこう。
坂本竜馬が、かつておれに、「先生はしばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者もいって会ってくるにより添え書きをくれ」といったから、さっそく書いてやったが、その後、坂本が薩摩から帰ってきていうには、「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。もしばかなら大きなばかで、利口なら大きな利口だろう」といったが、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ。》



中里介山『日本武術神妙記』所収「外人の日本国民性観」ツンベルグの項にも用例を見つけた。
《正直なること此民族の如く、しかも同時に勇桿にして自信力の強固なるものは他の加ふる所の凌辱を黙許する筈なし。然り余は実に日本人の如く憎悪の念強く、復讐心に富めるものを見ず、彼等の胸に沸騰すなる憤怒の情は面にあらはれざれども、裏に熱して、絶えずこれに報ゆるの機会を待つ。彼等は凌辱や迫害に対して多く口答へせず、僅かに苦笑するか、または長くエ.エ.工と云ふのみ。而もその胸裡の怨恨は、何ものと雖もこれを打ち破ること能はず。敵に些細の非礼を与へて僅かに心の欝をやるが如きにあらず、陽には懇和を示して、人をして聊かもその禍心を包蔵することを覚らしめずして、終に機を見て蹶然敵を撃ち倒すなり。》
日本人は淡泊な国民性かと思っていたら、「案外ねちっこいのね」ということがわかった。日本人は禍心包蔵、根に持つのである。なるほど、裏表もあることも含めて、そういったところはあるかもしれないと思う。
なお、ツンベルグというのは、『ツンベルクの日本紀行』の著者であるカール・ツンベルグのこと。出島にいたオランダ商館付医師で、吉雄耕牛、桂川甫周中川淳庵らの蘭学者を指導したスウェーデンの医師、植物学者である。



あと、幸田露伴「運命」にも「然るに奸臣斉泰黄子澄、禍心を包蔵し、」と例が見える。