ゴウカケンラン




 豪 華 絢 爛






贅沢にきらきらと輝き、目がくらむほどに美しいこと。
「華麗奔放」「錦繍陵羅」「絢爛華麗」「絢爛豪華」「荘厳華麗」「荘厳美麗」「壮大華麗」「美麗荘厳」ともいう。対義語は「簡古素朴」。



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谷崎潤一郎「陰翳礼讃」に用例がある。
《古えの工芸家がそれらの器に漆を塗り、蒔絵を画く時は、必ずそう云う暗い部屋を頭に置き、乏しい光りの中における効果を狙ったのに違いなく、金色を贅沢に使ったりしたのも、それが闇に浮かび出る工合や、燈火を反射する加減を考慮したものと察せられる。つまり金蒔絵は明るい所で一度にぱっとその全体を見るものではなく、暗い所でいろいろの部分がときどき少しづつ底光りするのを見るように出来ているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、云い知れぬ餘情を催すのである。そして、あのピカピカ光る肌のつやも、暗い所に置いてみると、それがともし火の穂のゆらめきを映し、静かな部屋にもおりおり風のおとずれのあることを教えて、そゞろに人を瞑想に誘い込む。》
断るまでもなく、闇のエロスを実によく言い得た名文であるのだが、ここでは「豪華絢爛」の四字熟語が金蒔絵を明るいところで見たときの印象を寸言で言い表してくれるおかげで、「闇に隠して」というところとの対照が可能となる。大谷崎、恐るべし。



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太宰治『右大臣実朝』のラストにも用例がある。
《あのけがらはしい悪別当、破戒の禅師は、その頃、心願のすぢありと称して一千日の参籠を仰出され、何をなさつてゐるのやら鶴岳宮に立籠つて外界とのいつさいの御交通を断ち、宮の内部の者からの便りによれば、法師のくせに髪も鬚も伸ばし放題、このとしの十二月、ひそかに使者をつかはして太神宮に奉幣せしめ、またその他数箇所の神社にも使者を進発せしめたとか、何事の祈請を致されたのか、何となく、いまはしい不穏の気配が感ぜられ、一方に於いては鎌倉はじまつて以来の豪華絢爛たる大祭礼の御準備が着々とすすめられ、十二月二十六日には、御拝賀の御行列に供奉申上げる光栄の随兵の御撰定がございまして、そもそもこのたびの御儀式の随兵たるべき者は、まづ第一には、幕府譜代の勇士たる事、次には、弓馬の達者、しかしてその三つには容儀神妙の、この三徳を一身に具へてゐなければならぬとの仰せに従ひ、名門の中より特に慎重に撰び挙げられたいづれ劣らぬ容顔美麗、弓箭達者の勇士たちは、来年正月の御拝賀こそ関東無双の晴れの御儀にして殆んど千載一遇とも謂ひつべきか、このたび随兵に加へらるれば、子孫永く武門の面目として語り継がん、まことに本懐至極の事、と互ひに擁して慶祝し合ひ、ひたすら新年を待ちこがれて居られる御様子でございましたけれども、当時、鎌倉の里に於いて、何事も思はず、ただ無心にお喜びになつていらつしやつたのは、おそらく、このお方たちだけでは無かつたらうかと思はれます。》
この「豪華絢爛」もまた、対比を引き立てるために要請された表現と言えるかもしれない。一方に於いては不穏な気配を感じさせる法師があり、一方に於いては鎌倉はじまって以来の大祭礼を控えているという状況がある。『右大臣実朝』一篇は、まさにこの引き裂かれたところにこそ結末を置こうとするのである。



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夢野久作「冥土行進曲」の用例も止目に値する。
《地下室の豪華絢爛さに比べると二階はさながらに廃屋みたような感じである。窓が多くて無闇に明るいだけに、粗末な壁や、ホコリだらけの板張が一層浅ましい。》
ここでは「無闇に」という語も意識的に選ばれているはずだが、地下室の闇の世界を「豪華絢爛」と言い、窓が多くて明るい「無闇」の二階を浅ましいと言う“転倒”は、意図的なものか偶然なのか知らぬが、「冥土行進曲」の二年前に出た谷崎の「陰翳礼讃」と符合している。



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茨木のり子「うしろめたい拍手―梅蘭芳に―」という詩にも例がある。



《あたりはばからぬ絶叫の音楽のなか
 あなたの視線がゆっくり動くと
 ものみな殺される 凄さ 妖しさ



 媚態さえもが涼しくて
 なぜだろう
 かたむく冠 零れる宝石
 豪華絢爛 原色の装い
 きつい隈取 牡丹の頬 》



メイ・ランファンは世界的に名声を博した京劇俳優。最後まで抗日の姿勢を貫き、女形であるにもかかわらずヒゲを生やしたというエピソードは茨木のこの詩にも出てくる。詩なのに劇を観ているかのような迫力が伝わってくる。「豪華絢爛」の語は、俳優の人生との対比において、過言ではない。