コウジンバンジョウ




 紅 塵 万 丈






都会に多くの土埃がたちこめるさま。世俗のひどくわずらわしいこと。単に「紅塵」とも。
なお「黄塵万丈」http://d.hatena.ne.jp/Cixous/edit?date=20091116参照)は音は同じなので類縁性はあるが、別語であると考えたい。



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幸田露伴が娘・文に宛てた手紙(昭和11年8月4日)には次の用例がある。
《山翠雲白のこのすゞしき清水より赤日紅塵のみやこを想ひやれば、何処かやゝくるしからぬところへ人々の身を置かせたくと心しきり候。しかし案外あつからぬ宅のよし、先々と存じ候が、若しあのもの事かき候て避暑おもふにまかせず候はば、病後の母子にとり悲しきことに候。》
幸田文浅間山からの手紙」によれば、清水とは長野県小諸町浅間山字清水にあった池西庵という。麓から約一里二十町の道沿いに清水の湧く池があったことが地名の由来であるらしい。*1



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斎藤緑雨「犬蓼」に用例がある。
紅塵万丈俗なれや何れ都は、山越えて来る鐘の音なく、長く引く豆腐屋の声、明くる暮るるも是れよりなり》



清水紫琴「誰が罪」にも用例がある。
紅塵万丈の都門の中にも、武蔵野の俤のこる四ツ谷練兵場、兵隊屋敷をずつと離れて、権田原に近き草叢の中に、露宿せし一人の書生。》



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夏目漱石吾輩は猫である」にも用例がある。



《「そうさな、昼間より少しは淋しいだろう」
「それで何でもなるべく樹の茂った、昼でも人の通らない所を択ってあるいていると、いつの間にか紅塵万丈の都会に住んでる気はなくなって、山の中へ迷い込んだような心持ちになるに相違ないです」》



夏目漱石「倫敦塔」の例も想起されよう。
《塔橋を渡って後ろを顧みたら、北の国の例かこの日もいつのまにやら雨となっていた。糠粒を針の目からこぼすような細かいのが満都の紅塵と煤煙を溶かして濛々と天地を鎖す裏に地獄の影のようにぬっと見上げられたのは倫敦塔であった。》
倫敦ということで「紅塵」だけでは飽き足らなかったのか、「煤煙」を付け加えているのが漱石一流のユーモアであろう。なお漱石では「虞美人草」にも「漠々たる紅塵のなかに何やら動いている。」というふうに用例が見えることも付け加えておく。



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夢野久作謡曲黒白談」にも用例がある。
謡曲中毒もここまで来ると既に病膏肓に入ったというもので、頓服的忠告や注射的批難位では中々治るものでない。丁度モルヒネだの阿片の中毒と同じで、止めようと思ってもガタンガタンが四楽に聞こえ、ゴドンゴドンが地謡いに聞こえて、唇自ずからふるえ、手足自ずから動き、遂に身心は恍惚として脱落し去って、露西亜で革命党が爆裂弾を投げようが、日本で政府党が選挙に勝とうが、又は乗り換えを忘れようが、終点まで運ばれようが委細構わず、紅塵万丈の熱鬧世界を遠く白雲緬の地平線下に委棄し来って、悠々として「四条五条の橋の上」に遊び、「愛鷹山や富士の高峰」の上はるかなる国に羽化登仙し去るのである。》
四字熟語を含め難解な熟語の多用が諧謔を生む文体の見本とも言いえよう。



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国木田独歩牛肉と馬鈴薯」には次の例がある。
《「山林の生活! と言ったばかりで僕の血は沸きます。則ち僕をして北海道を思わしめたのもこれです。僕は折り折り郊外を散歩しますが、この頃の冬の空晴れて、遠く地平線の上に国境をめぐる連山の雪を戴いているのを見ると、直ぐ僕の血は波立ちます。堪らなくなる! 然しです、僕の一念ひとたびかの願に触れると、こんなことは何でもなくなる。もし僕の願さえ叶うなら紅塵三千丈の都会に車夫となっていてもよろしい。》
「万丈」ではなく「三千丈」になっているわけだが、しかしここまで「紅塵」の用例を追っかけてくると〈都会と自然〉という対への感性を追っかける手助けにもなる予感がしてきて興味が尽きない。それにしても、かつては紋切り型であったこうした表現が今日では失われてしまったのは感覚が麻痺してしまったのだろうか、学力が低下してしまったのだろうか? おっとっと。こちらは不問に付しておくこととしよう。


*1:露伴には「雲霧は山につきものであり、塵埃は都の屬物であるが、萬丈の塵は景氣が好い代りに少し息苦しい。」(「華嚴瀧」)という用例もある。