チソクアンブン




 知 足 安 分






高望みしないこと。自分の身分や境遇に応じ、分をわきまえて満足すること。
「足るを知り分に安んず」とも読む。「知足」と二字で用いることもある。
「安分守己」「一枝巣林」「飲河満腹」「小欲知足」「巣林一枝」「知足守分」「知足常楽」ともいう。



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老子』三三に「知足」という語が出てくる。



知足者冨。》 (足るを知るは冨なり。)



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『遺教経』にも、同様の教えが見える。



《不知足者、雖冨而貧。知足之人、雖貧而冨。》
 (足るを知らざる者、富と雖も貧なり。足るを知るの人、貧と雖も富なり。)


『遺教経』は臨終を前にした釈尊が最後に行った説法である。



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国枝史郎「生死卍巴」に左のごとき用例がある。



《と、その家の窓の辺りから、急に華やかな燈火が射し、高貴な若々しい男の声が、屈託もなさそうに聞こえてきた。
「問題は非常に簡単なのだよ。小慾にあり知足にあるのさ。なるほど、今は生活にくい浮世だ。戦い取ろう、搾り取ろうと、誰も彼も逆上してあせっている。だから私は云うのだよ、慾を少なくして、足るを知れと。つまり浮世と逆行するのだ。その逆行が徹底した時に、桃源郷が現じ出してくる。……誰も彼も桃源郷を求めていながら、誰も彼もが桃源郷を断っている」》



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立松和平「知足安分」には、左のごとく書いてある。



《お金も欲しい。名誉も欲しい。もっともっと欲しい。人から奪っても欲しいとさえ、心の底では考えてしまう。欲望が高じると、自分だけがよくなろうとして戦争まで起こしてしまうのが人類なのだ。それは歴史を見ればすぐにわかる。歴史の内容は、自分が少しでも豊かになろうとしたあげく、戦争の連続なのである。歴史に知足安分小欲知足をあてはめたら、戦争も起こらず、環境問題もなく、人類の歴史もまったく違う平穏なものになったであろう。
 私は自分の個人史の中で知足安分小欲知足に基づいて行動したことを探そうとしたのだが、まったく見つからなかった。私は欲望を小さくしようと努力してきたなどというつもりは、まったくない。それどころか、欲望を生きる力とさえしてきたのである。》






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坪内逍遙「一読三嘆当世書生気質」は〈知足を修身の規矩となせしは封建時代の方便教〉と言うし、J・S・ミル/永峰秀樹訳「代議政体」も〈知足守分と云う性質ある人は、畏るべき対手にあらず〉と言うが、他方では晩年の森鷗外のような人もいて、たとえば「高瀬舟」によって「知足」を世に問うたという解釈がなされることも少なくないようだ。



鷗外が「知足」の二字をどれだけ意識していたかについては疑問もあるが、ともあれ近代を見直す場合、「不足」なのか「知足」なのかというテーマは避けて通れまい。まだまだ「不足」だから飽くなき欲望を追求し、経済成長を目指すという方向が一つ。欲を抑えて持続可能な「知足」を追究するのがもう一つ。しかし、前者がダメなのは、明治の鷗外ですら薄々感づいていたかもしれない。



とはいうものの、立松が正直に告解するように、いまさら小欲に戻ることも不可能である。また逍遙が言うがごとく、「エコ」という方便の下に、封建制を復活させ、戦争や環境破壊を行おうとする権力に「知足」が利用される恐れも否定はできず、警戒が必要だ。「エコ」だの「知足」だのとキャンペーンをしておきながら、一方では自分たちの既得権を守ろうと企む輩は大勢いる。これまで「不足」と言って過度の購買意欲を煽ってきたのも、結局、彼らの利益のためだったという逆説的な構造を甘くみてはなるまい。結局、立松とは違う意味でも、私たちは欲望から逃れることができないのかもしれない。



しかし、そうはいってもやはり、老子に始まり、鷗外を経て、国枝や立松に至る「知足」の水脈というものがもしあるのだとすれば、今の欲にまみれた世にとって、非常に尊いものだと我々は声を大にせざるを得ないのではないだろうか。