ソッタクドウジ




 啐 啄 同 時






絶好の機会。またとないチャンス。
禅の文脈では、師と弟子の呼吸が投合し、悟りを開くことを意味する。
「啐啄同機」「啐啄之機」「啐啄之迅機」などともいう。



「よみうり寸評」(『読売新聞』2010年4月9日夕刊)に「啐啄」が紹介されていた。



《鳥の卵が孵化するときに、ひなが内側から殻をつつくことを〈啐〉といい、これに応じて、母鳥が外から殻をつついて助けることを〈啄〉という◆ひなと母鳥が力を合わせ、卵の殻を破り誕生となる。この共同作業を啐啄というのだが、後に転じて「機を得て両者が応じあうこと」「逸してはならない好機」を意味するようになった》



少しでも時機を逸すると、うまく行かないということは世に少なくないだろう。



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圜悟克勤編『碧巌録』一六則に用例がある。



《所以南院示衆云、諸方只具啐啄同時眼。不具啐啄同時用。》



「諸方の師家には啐啄同時の眼はあるが、啐啄同時のはたらきがない」という南院和尚の言である。「啐啄同時用」とは果たして何かと問うのが、ここでの公案である。読者諸氏、ともに坐られよ。



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幸田文「あとみよそわか」に用例がある。



《親子・他人の別は無い、教へるも習ふも機縁である。啐啄同時は何度云はれたか知れないにもかゝはらず、大抵の場合私がぐづぐづしてゐるうちに、父の方は流れて早き秋の雲、気がついたときはすでに空しく、うしろ影がきらりと光る。》



幸田家の躾、すなわち父・幸田露伴と娘・幸田文との間で行われた教え習いは、この随筆を含めた幸田文の文筆によって今や広く知られるところであろう。しかし、そこに「啐啄同時」の四字熟語が意識されていることは知られているだろうか。そして娘の側は、「啐啄同時」が巧くいかないという思いを持っていた。そうした挫折が、娘・文をして父・露伴のことを書かしむることにつながっているとも言えるわけである。



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立松和平「啐啄同時」に用例がある。



《母もどんなに少なくとも空いた時間があると身体を動かして働こうという気構えに満ちていた。母は道具やモーターを運んでいつも父の仕事を手伝っていたし、母の仕事が間に合わなくなると、父は氷切りをしたり配達をしたりして手伝った。まさに啐啄同時であり、二人なのに一人とも感じられる一如一体のはたらきによって、希望に満ちてはいたがまだよくわからない未来に向かって進んでいこうとしていたのだ。モーター再生屋と氷屋と、どう考えてもお互いに関係なくて奇妙な取り合わせだが、混乱した世相の当時は二つの異質なものさえ一つにしてしまうほどの底知れぬエネルギーに満ちていたのだろう。》



父母が一体となって働くことを、立松は「啐啄同時」と捉えた。出典からは、やや意味が離れている気もしないではないが、夫婦が機を逃さず協働することを「啐啄同時」と言うことが悪いわけではない。むしろそれだけ両親への並々ならぬ敬慕の情がうかがえるだろう。*1





*1:朝日新聞』(2010・4・11朝刊)「惜別」欄に「作家 立松和平さん」という文章が載っていた。そこに文芸評論家・黒古一夫のコメントがあるが、これは立松の描いた両親の「啐啄同時」を裏づける証言とも言えるので、引用したい。「今年こそお父さんを書くと言っていた。満州で現地召集され、敗戦でシベリアに送られる途中、脱走して立松さんのお母さんの元に帰ってきた人。その小説は実現しない。本当に心残りでしょう」。