ギョウカイサンジャク




 堯 階 三 尺






質素な暮らし。
「堂高三尺」「土階三尺」「土階三等」「土階茅茨」「采椽不斲」「茅屋采椽」「茅茨不翦」「藜杖韋帯」「茅茨剪らず采椽削らず」ともいう。対義語に「金殿玉楼」「峻宇雕牆」がある。



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曾先之十八史略』に、中国古代の伝説的な聖天子である堯の記事がある。



《都平陽。茅茨不翦、土階三等。》
(平陽に都す。茅茨剪らず。土階三等のみ。)



堯にまつわる四字熟語は多く、ここでもすでに「鼓腹撃壌」*1を取り上げたことがあるが、「堯舜有徳」「尭鼓舜木」「尭風舜雨」「尭年舜日」「跖狗吠尭」「尚書堯典」といった四字熟語もあることをまず銘記しておこう。



「堯階三尺」は、堯が平陽というところ都を定めたものの、宮殿は茅葺きで、しかも端を切り揃えることもせず、登る階段はわずか三段で、しかも土の階段であったという「土階三等」に由来する四字熟語である。為政者は民を酷使して御殿を建ててはいけないという戒めとして今も重みを持ち続けてほしい故事と言えよう。



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汪遵「長城」という七言絶句の中に最初の例が見える。



《 焉知万里連雲勢 (焉んぞ知らん万里連雲の勢)
  不及堯階三尺 (及ばず堯階三尺の高きに) 》



万里の長城を築いた始皇帝の手になる秦が滅亡したとき、思い出されたのは遠い昔にあったとされる堯の宮殿の質朴であった。始皇帝の壮大な長城は、堯のわずか三尺の土階に敵わない。



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福沢諭吉「教育の目的」に用例がある。
《安はすなわち安なりといえども、その安は身外の事物、我に向って愉快を呈するに非ず。外の事物の性質にかかわらずして、我が心身にこれを愉快なりと思うものにすぎず。すなわち万民安堵、腹を鼓して足るを知ることなれども、その足るを知るとは、他なし、足らざるを知らざりしのみ。たとえば往古支那にて、天子の宮殿も、茆茨剪らず土階三等、もって安しというといえども、その宮殿は真実安楽なる皇居に非ず。かりに帝堯をして今日にあらしめなば、いかに素朴節倹なりといえども、段階に木石を用い、屋もまた瓦をもって葺くことならん。》



たしかに今日に堯があれば、土階ということはなく、それなりのところに住むだろう。その精神を汲まなければならぬのであって、字義通りに揚げ足をとるのは、たしかによろしくない。『韓非子』には「茅茨不翦、采椽不斲、糲粢之食、藜藿之羹、冬日麑裘、夏日葛衣、雖監門之服養、不虧於此矣。」とあるが、今日これに忠実たれと言うのは時代錯誤も甚だしいということになる。しかし、その真逆ばかり見せられると、政治不信にもなるというものである。