コウセキボクトツ




 孔 席 墨 突






休む暇がないほど忙しく奔走するさま。
世のため人のために働き、自分のための時間がないさま。
「孔席不暖」「孔突墨席」「墨突不黔」「東奔西走」「孔席暖まらず墨突黔まず」「席暖まるに暇あらず」などとも言う。



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班固「答賓戯」(『文選』)が出典である。
《是以聖哲之治、棲棲遑遑、孔席不㬉墨突不黔。》
孔子墨子は諸国遊説のため、座席の敷物が暖まる間もなく次の場所へ移動し、自宅では竈を使わないため炊煙で煙突に煤を付けて黒くする暇すらなかったという故事に由来する言葉である。
ただし、『文子』〈自然〉では孔子墨子の順序が逆になっている。「孔突墨席」の方が正当か。



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夏目漱石「人生」の冒頭段落を引用する。
《空を劃して居る之を物といひ、時に沿うて起る之を事といふ、事物を離れて心なく、心を離れて事物なし、故に事物の変遷推移を名づけて人生といふ、猶麕身牛尾馬蹄のものを捉へて麟といふが如し、かく定義を下せば、頗る六つかしけれど、是を平仮名にて翻訳すれば、先づ地震、雷、火事、爺の怖きを悟り、砂糖と塩の区別を知り、恋の重荷義理の柵抔いふ意味を合点し、順逆の二境を踏み、禍福の二門をくゞるの謂に過ぎず、但其謂に過ぎずと観ずれば、遭逢百端千差万別、十人に十人の生活あり、百人に百人の生活あり、千百万人亦各千百万人の生涯を有す、故に無事なるものは午砲を聞きて昼飯を食ひ、忙しきものは孔席暖かならず、墨突黔せずとも云ひ、変化の多きは塞翁の馬に辶をかけたるが如く、不平なるは放たれて沢畔に吟じ、壮烈なるは匕首を懐にして不測の秦に入り、頑固なるは首陽山の薇に余命を繋ぎ、世を茶にしたるは竹林に髯を拈り、図太きは南禅寺の山門に昼寝して王法を懼れず、一々数へ来れば日も亦足らず、中々錯雑なものなり、加之個人の一行一為、各其由る所を異にし、其及ぼす所を同じうせず、人を殺すは一なれども、毒を盛るは刃を加ふると等しからず、故意なるは不慮の出来事と云ふを得ず、時には間接ともなり、或は又直接ともなる、之を分類するだに相応の手数はかゝるべし、況して国に言語の相違あり、人に上下の区別ありて、同一の事物も種々の記号を有して、吾人の面目を燎爛せんとするこそ益面倒なれ、比較するだに畏けれど、万乗には之を崩御といひ、匹夫には之を「クタバル」といひ、鳥には落ちるといひ、魚には上がるといひて、而も死は即ち一なるが如し、若し人生をとつて銖分縷析するを得ば、天上の星と磯の真砂の数も容易に計算し得べし》
「人生」は漱石が五高の教師であったとき『龍南会雑誌』に寄稿したものであるが、漢籍から得た教養を衒学的にひけらかすと同時に独特なユーモアがあって、漱石らしい文章となっているとひとまず言えるだろう。その中に「孔席」云々もあるということ。



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牧逸馬『浴槽の花嫁』の例も参考になる。
《George Joseph Smith はベスナル・グリインの保険会社員の家に生まれた。一八九六年に軍隊から出て来るとすぐ女狩りを始めて、その「浴槽の花嫁」なる新手は、十八年後に刑死するまで継続された。頻繁に名を変えているので、除隊になってからの足取りを拾うことははなはだ困難とされている。一八九七年に女のことで投獄されたジョウジ・ベエカアなる男が、まずスミスの変名のはじまりで、その後、ライセスタアでいちじ菓子屋をしていたこともある。つぎに知れているのはジョウジ・オリヴァ・ラヴ――George Olive Love――という三文小説の主人公みたいな名でカロライン・ビアトリス・ソウンヒルという十八歳の女と結婚していることだ。その時の結婚登録に、スミスは父の職業を探偵と書いている。皮肉のつもりであろう。このカロライン・ソウンヒルのその後の消息も不明だから、やはり「浴槽の花嫁」になったのだろうということになっている。が、スミスの真個の活動は、一九〇三年に開始されて、引き続いて六年間、彼は東奔西走席の暖まる暇もなく女狩りに従事して多忙を極めた。ちょっと被害者の名を挙げただけでも、メイ・ベリスフォウド、マアガレット・グロサップ、ルウス・ホフィらだ。この人鬼にも、ただ一人、財産が眼あてでなしに一生涯愛し抜いた恋人があった。それが前からたびたび出ている情婦のエデス・メエベル・ペグラアである。》



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窪田義行孔席温まらず墨突黔まず」(『義七郎武藏國日記』)も引く。



羽生善治王座は表題通り東奔西走の日々だが、王座に限っては座り放し。
 すっかり温まった椅子だが、今度こそ所有者を変えるだろうか。》
http://shimousadainagon.moe-nifty.com/nitenichiryu/2005/09/post_2f42.html



用例があまりにも少ない語であるから、ここでは文学作品の用例中心にするという方針にあえて反して、ブログなるものからも一つ引用してみた。たいそう珍しいことではあるが、ご寛恕ねがう。
窪田義行六段は将棋の棋士
この用例はユーモアが効いていて、引用に値すると判断した。
これは2005年の記事だが、その後の羽生善治王座は、王座戦日本経済新聞社)において王座位を18連覇し、同一タイトル連覇記録において史上一位という驚くべき不滅の金字塔を樹立している*1という実績、そして常に勝ち続けるので対局数が必然的に多くなり、しかも人気もあるので将棋の普及活動や講演などで引っ張りだこ、日本中を飛び回る殺人的なスケジュールをこなしているという背景を知っていると、将棋ファン以外の方にもきっとこの用例の妙味がお分かりいただけることだろう。





*1:なおこの記録は現在も続いており、さらに更新される可能性もある。