キジュンゴウイツ




 帰 順 合 一






対立を超えて一つに合わさること。「止揚」ともいう。



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石川淳「梗概に代へて」に用例がある。



《今日われわれの国では、何が善か、何が悪か、二つの観念がはつきり対立区分されてゐるやうに思はれます。もちろん、この果断決行の時に当つて、峻烈なる判断は至極必要なものなのですが、ただわれわれを何物かと対立させたと云ふだけでは、大文化創造の任務を負つてゐる民族の心がけとして、些か狭小に偏する惧れがないとも云へません。対立物を克服し、転換させ、われわれに於て帰順合一せしめ、単なる排斥ではなく高度の否定を、そこにわれわれ自身の肯定が確立されるやうな否定を持つのでなければ、文化の大を期することはできないでせう。》






戦時下に『白描』という小説があるのだが、その梗概に代えて上記を書かざるを得なかったのは、ロシア的なものを出すことに対する弁明が必要と自己検閲の意識が働いたからだろう。
独特な緊張の下に書かれただけあって、時局を意識した書き方になっており、いわゆる〈近代の超克〉の論法が採用される。ここでの「帰順合一」とは紛れもなくアウフヘーベンの意であるが、ニュアンスというものはあって西田幾多郎のいわゆる「主客合一」とは微細ながら差異があることも見逃してはならない。それはつまり「帰順」という言葉を選んだという一点に存する。「帰順」という語にはおのずと反逆や抵抗というレジスタンスの含意があって、そのことは上記の引用全体からも醸し出されているだろう。単純に白か黒かという二者択一の状況、つまり一つを択んだらもう一つは自動的に排除、粛清されてしまう異常な状況に異を唱えている。



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安岡正篤『一日一言』にも用例がある。



《よく天に順う時、我々にまず生ずるものは、敬虔な感恩な情と切り離すことのできない報謝の意思である。心が穏やかであれば、自分が死んでからではなく、生きている内から敬虔な心持に感謝と努力を誓うであろう。感恩の情と報謝の意思が自然に湧き起こってくるものに他ならない。
 この感情と意思とは、我々が地球上に人として生まれると先ず親に対して懐く感情が最初である。人として生まれ出でた子がその親に対しておのずから催す感恩報謝の情意を、実に「孝心」、あるいは単に「孝」と言う。孝こそは我々がその最も直接な造化に対する帰順合一であり、孝によって我々ははじめて真の意味における人となり、あらゆる道徳的行為はここより発する。真に孝は徳の本であり、教えのよって生ずるところである。》






安岡正篤という人の戦前の言説を石川淳とパラレルに並べて、冷徹きわまる眼で文脈も外さずフェアに読み比べてみると、両者の体質の違いがもっとはっきりして面白そうな予感もするが、この文章からでもその一端はうかがえるだろう。



親孝行の大切さを説く安岡正篤が「帰順合一」という四字熟語を使うとき、反抗期の子ども程度は想定されていようが、親を殺し、国家を転覆せんとするような過激な思想は想定されていないだろう。いや、というより、想定していないふりをして、それを封じ込めんとすることこそがこのような道徳の目的であり、効用であるといってもよい。



「最も直接な造化」というのは、もったいぶらずに言えば、父母の愛の営みにほかならない。ただ、分かる人には分かってしまうかもしれない。これは倉田百三の「愛は主観が客観と合一して生命原始の状態に帰らんとする要求である。」(『愛と認識との出発』)あるいは「男性の霊肉をひっさげてただちに女性の霊肉と合一するとき、そこに最も崇高なる宗教は成立するであろう」(同)という教養主義的な飛躍を、割に忠実になぞっているということを----。



今日では夫婦の愛も亀裂が走り、親子の情も混迷を深めているから、こうした説もすんなり受け入れられやすいのだろうが、「帰順」という語を選び「合一」という語を道徳の言説に持ち込んだ安岡自身のセンスはさすがに鋭いと言ってよいだろう。対立、亀裂、混迷が深刻であればあるほど、道徳というものは反比例的に崇高化されるのである。そして読者がそれに敏感か鈍感かで、革新か保守か、反体制派か体制派かが決まる。



ちなみに私自身は親孝行の必要性に真っ向から異を唱えるものではない。が、人間が完成していないせいか、単に臍曲がりなだけかは知らぬが、夫婦や親子の葛藤というものはそのまま受け止める主義である。現実から懸け離れ過ぎたあまりに美しい言説には動物的な勘もあって、警戒してしまうということもあるが、現実それ自体をそのまま肯定することを恐れるどころか、楽しめるからかもしれない。というわけで、右、左は別にして、文学者は本質的に止揚されることをウジウジと、しかしキッパリと峻拒する生き物なのなのかもしれぬと思う。