チュウソウヤム




 昼 想 夜 夢






目が覚めている昼に思ったことが、夜に眠ったときに夢となって現れること。



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列御寇列子』〈周穆王〉が出典である。
《子列子曰、神遇夢爲、形接爲事、故晝想夜夢。神形所遇、故神凝者、想夢自消。》
(子列子曰く、神遇ふを夢と為し、形接はるを事と為す、故に昼想ひ夜夢みるは、神形の遇ふ所なり。故に神凝まる者は想夢自ら消ゆ。)



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王符『潜夫論』〈夢列〉の例も、最も早いものの一つである。
有所夜夢其事。》
(昼思ふ所あれば、夜其の事を夢む。)



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芥川龍之介素戔嗚尊」は、表層を見ているかぎりにおいては用例に行き当たることもないが、少し掘り下げてみると、深層に潜在する「昼想夜夢」という四字熟語を炙り出すことのできうるテクストである。冒頭は次のように始まる。



高天原の国も春になった。
 今は四方の山々を見渡しても、雪の残っている峰は一つもなかった。牛馬の遊んでいる草原は一面に仄かな緑をなすって、その裾を流れて行く天の安河の水の光も、いつか何となく人懐しい暖みを湛えているようであった。ましてその河下にある部落には、もう燕も帰って来れば、女たちが瓶を頭に載せて、水を汲みに行く噴き井の椿も、とうに点々と白い花を濡れ石の上に落していた。----》



途中経過や委細は、ここでは省略する。この後、亡命者・素戔嗚尊が、高天原を夢見る場面がある。



《しかしある夜夢の中に、彼は山上の岩むらに立って、再び高天原の国を眺めやった。高天原の国には日が当って、天の安河の大きな水が焼太刀のごとく光っていた。彼は勁い風に吹かれながら、眼の下の景色を見つめていると、急に云いようのない寂しさが、胸一ぱいに漲って来た、そうして思わず、声を立てて泣いた。その声にふと眼がさめた時、涙は実際彼の煩に、冷たい痕を止めていた。彼はそれから身を起して、かすかな榾明りに照らされた、洞穴の中を見廻した。彼と同じ桃花の寝床には、酒ののする大気都姫が、安らかな寝息を立てていた。これは勿論彼にとって、珍しい事でも何でもなかった。が、その姿に眼をやると、彼女の顔は不思議にも、眉目の形こそ変らないが、垂死の老婆と同じ事であった。》



昼の明るく平和なときに見わたす故郷の風景と、夜の暗いときに異郷で見る夢の中の風景は同じ高天原であるにもかかわらず全く違った相貌をあらわす。このテクストの構成上のねらいの一部分は「昼想夜夢」という語に拠ったかどうかは定かでないものの、列子などと類似の発想に基づいている可能性もあるだろう。ただし、そこには書き手一流の皮肉として「昼想」と「夜夢」の間のズレが仕掛けられていることを見落としてはいけない。



そういえば、このテクストに仕掛けられる問答には次のようなものがあった。



《「しかし人が掬わなくっても、砂金は始から砂金でしょう。」
「さあ、砂金だとわかるのは、人に掬われてからの上じゃありませんか。」
「すると人が、ただの砂を砂金だと思って掬ったら----」
「やはりただの砂でも砂金になるでしょう。」》



あるいは、次のような問答も止目に値する。
《「高天原の国は、好い所だと申すではございませんか。」
 この言葉を聞くと共に、一時静まっていた心頭の怒火が、また彼の眼の中に燃えあがった。
 「高天原の国か。高天原の国は、鼠が猪よりも強い所だ。」
 大気都姫は微笑した。その拍子に美しい歯が、鮮に火の光に映って見えた。
 「ここは何と云う所だ?」
  彼は強いて冷かに、こう話頭を転換した。が、彼女は微笑を含んで、彼の逞しい肩のあたりへじっと眼を注いだまま、何ともその問に答えなかった。彼は苛立たしい眉を動かして、もう一度同じ事を繰返した。大気都姫は始めて我に返ったように、滴るような媚を眼に浮べて、
 「ここでございますか。ここは----ここは猪が鼠より強い所でございます。」と答えた。》



つまり、このテクストは戦略的に砂/砂金といった真贋関係や、鼠/猪といった強弱関係の転倒・反転がさまざまに仕掛けられている。それがひいては高天原アナザーワールドの関係とも対応し、さらにはそれが〈昼想/夜夢〉というかたちでも現出するという仕掛けになっているということは意外に重要である。



ちょうどこの時機に、すなわち昼想と夜夢の間を執筆していたこの時機に、芥川という書き手は漢詩を作ることをやめたというふうに伝えられるが、今はそのような伝記的詮索はあえてしないでおく。ただ、テクストに潜在する四字熟語というテーマがなかなか興味深いということをコメントしておくに止める。