ソウゴフジョ




 相 互 扶 助






お互いに助け合うこと。「互助」と略すこともある。
「一致協力」「共存共栄」「協力一致」「相互依存」「相互協力」。



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もとはロシアの無政府主義者クロポトキン社会学説の中心原理の訳語。
進化論者・ダーウィンの思想が「生存競争」「自然淘汰」「弱肉強食」「優勝劣敗」「適者生存」……で表されるとすれば、『相互扶助論』の著者・クロポトキンのそれは「相互扶助」の一語に尽きる。「原始人、未開人社会、中世都市に見られた相互扶助のしきたりや制度は人間の本能にもとづくもの」とするクロポトキンによれば、個体同士が自発的に助け合うことこそが社会発展の要因であると考えるため、統治機構を否定し、連帯に基づく社会を目指した。
もちろん、南方熊楠らが批判したように、生物学から見れば妥当とは言えない部分もあるのだが、過激なダーウィニズムをそのまま人間に適用することへのアンチテーゼとして、またそうでなくても、「自治」や「共生」には、まだまだ多様な可能性が眠っているだろうことは間違いないと思う。
今日の日本では、特定非営利活動法人が「相互扶助の精神」を掲げている。また社会福祉や保険、共済、生協といった考え方も「相互扶助の精神」に基づいていることは言うまでもないところだろう。白川村の「結い」にしても「相互扶助の精神」が今に残っている貴重な例と言える。



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大杉栄「動物界の相互扶助―生存競争についての一新説―」に用例がある。



《僕はクロポトキン相互扶助説を「生存競争についての一新説」であると言った。しかし厳密に言えば、これは新説ではなく、むしろダーウィニズムの正解もしくは補充である。
 もともとダーウィンの用いた生存競争という言葉の中には、広狭の二意義がある。すなわちその『種の起原』の中に、これは広い比喩的の意味であって、個々の生物が互いに食物を争奪するようなことばかりでなく、多くの生物が相依り相扶けて、外界の境遇と戦うがごとき場合を含むものである。また生物個々の生存の競争ばかりでなく、なお子孫を残す上の競争をも含むものである、と明らかに説いている。なおダーウィンはこの教義の生存競争を過重してはならぬことを誡めて、その『人類の由来』の中には、生存競争という言葉の本来の広い意味を、さらに詳かに説いている。いかに多くの動物の仲間では、食物に対する争奪が跡を絶っているか。いかに仲間同士の闘争に代って協同が行われているか。またその結果としていかに知力と道徳との発達を来たさしめているか、そしていかにそれが、やがて種族生存の第一条件となっているか。ダーウィンはこれらの幾多の事実を例証している。なお彼はわれわれに教えて言う。適者とは決して体力のもっとも強健なもの、もしくは性情のもっとも狡猾なものではなく、ただ社会全体の幸福のために、強者も弱者も一致協力して、相依り相扶ける道を知っている種族であると。》



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石川啄木「所謂今度の事」にも用例が見える。
《いわゆる“今度の事”について。政府はアナーキストをテロ信奉の狂信者の如く評しているが、実はアナーキズムはその理論において何ら危険な要素を含んでいない。今の様な物騒な世の中では、アナーキズムを紹介しただけで私自身また無政府主義者であるかのごとき誤解をうけるかもしれないが…もしも世に無政府主義という名を聞いただけで眉をひそめる様な人がいれば、その誤解を指摘せねばなるまい。無政府主義というのは全ての人間が私欲を克服して、相互扶助の精神で円満なる社会を築き上げ、自分たちを管理する政府機構が不必要となる理想郷への熱烈なる憧憬に過ぎない。相互扶助の感情を最重視する点は、保守道徳家にとっても縁遠い言葉ではあるまい。》



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芥川龍之介「手紙」にも用例はある。
《僕はいつかクロポトキン相互扶助論の中にあった蟹の話を思い出しました。クロポトキンの教えるところによれば、いつも蟹は怪我をした仲間を扶けて行ってやると云うことです。しかしまたある動物学者の実例を観察したところによれば、それはいつも怪我をした仲間を食うためにやっていると云うことです。》



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小林多喜二不在地主」にも用例がある。



《会が始まった。
「開会の辞」で武田が出た。如何にも武田らしく演壇に、兵隊人形のように直立して、演説でもするように、固ッ苦しい声で始めた。聞きなれない、面倒な熟語が、釘ッ切れのように百姓の耳朶を打った。
 ――……この危機にのぞみ、我々一同が力を合わせ、外、過激思想、都会の頽風と戦い、内、剛毅、相互扶助の気質を養い、もって我S村の健全なる発達を図りたい微意であるのであります。
 ――……なお、此度は旭川師団より渡辺大尉殿の御来臨を辱うし、農場主側よりは吉岡幾三郎氏代理として松山省一氏、小作方よりは不肖私が出席し、ここに協力一致、挙村円満の実をあげたいと思うのであります。
 七之助は聞きながら、一つ、一つ武田の演説を滑稽にひやかして、揚足をとった。
「武田の作ちゃも偉ぐなったもんだな。――悪たれだったけ。」
 健の前に坐っている小作だった。――「余ッ程、勉学したんだべ。」
 七之助が「勉学」という言葉で、思わず、プウッ! とふき出してしまった。》



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大岡昇平「俘虜記」にも用例がある。



《趣旨は甚だ結構であった。俘虜の相互扶助の精神がこれ以上明瞭に提唱されたことはない。》



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四字熟語「相互扶助」の用例は枚挙に遑がない。そして、それは間違いなく、その時代の思潮を何らかの形で反映しているようだ。特に大正期前後の言説を対象にして、きちんと研究しなければならない四字熟語であると強く感じた。



極端な話、例の“大東亜共栄圏”の発想の根源に「相互扶助」があるのではないかといったことも思わぬではない。つまり、クロポトキンの「相互扶助」が本来の意義を離れていく日本的展開を追究すると、思想史上に新しい見解を導けるのではないかという風に考えるわけだが……。



ともあれ、四字熟語は、語源や出典に返ればよいというものではないという批判がしてみたくて、ここでほそぼそと用例研究を進めている次第なのだが、とりあえず如上は今後の課題としておくより他にない。