リュウレンコウボウ




 流 連 荒 亡






仕事をせず、家にも帰らず、酒色や遊興に耽ってやまないこと。
「放逸遊惰」「放蕩三昧」「放蕩無頼」「遊惰放逸」「遊惰放蕩」ともいう。



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孟子』の諸侯を批判した言葉が出典である。
流連荒亡、諸侯の憂ひと為る。流れに従ひ下りて反るを忘る、之を流と謂ひ、流れに従ひ上りて反るを忘る、之を連と謂ひ、獣に従ひ厭く無き、之を荒と謂ひ、酒を楽しみ厭く無き、之を亡と謂ふ。》
(流連荒亡、爲諸侯憂。從流下而忘反、謂之流、從流上而忘反、謂之連、從獸無厭、謂之荒、樂酒無厭、謂之亡。)



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徳富蘇峰『将来之日本』はいわゆる平民主義を唱えた書物として知られるが、ここに用例がある。
《如何に酒池肉林、流連荒亡の楽をなすも唯生活の愉快を感ずるのみ。》
「流連荒亡」だけでは不足に感じたのか、「酒池肉林」と四字熟語を二つ並べた。



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久生十蘭『顎十郎捕物帳』は捕物帖の傑作の一つだが、ここにも用例がある。



《古すだれの隙間から涼風が吹きこんで、いぎたなく畳の上でごろ寝をしている顎十郎の鬢の毛をそよがせる、それからまた小半刻、顎十郎は、
「ううう」
 と、精一杯に伸びをすると、じだらくな薄眼をあけて陽ざしを見あげる。時刻はもうとうに申をすぎている。
 一種茫漠たるこの人物は、この脇坂の中間部屋にこれでもう十日ばかり流連荒亡している。北町奉行所の与力筆頭の叔父庄兵衛が扱う事件に蔭からソッとおせっかいをし、うまく叔父をおだてあげて、纒った小遣いをせしめると、部屋を廻って大盤振舞をして歩く。手遊びをしに来るのではない。中間とか馬丁陸尺とかいう連中にまじって軽口を叩いたり、したみ酒を飲みあったりするのがこの世の愉快だとある。あまり上等な趣味ではない。寝っころがって中間どもの小ばくちを横合から眺めたり、とりとめのない世間話に耳をかたむけたりしながら、金のある間ごろッちゃらしている。尤もここぐらい、いろいろな世間のうわさが早く伝わってくるところもすくない。ここにごろごろしていると、肩が凝らずいながらにして浮世百般の消息がきかれる。顎十郎がいろいろと人の知らぬ不思議な浮世の機微に通暁しているのは、多分、そのためだろうと思われる。ただし、なにか思うところがあってやっているのか、それとも出鱈目なのか、こんな風来人のことだから、性根のほどはわからない。》



この顎十郎、まさに「流連荒亡」という四字熟語イメージとピタリと当てはまる人物であり、これと並ぶ例はそうは見つけられないだろう。



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舟橋聖一花の生涯』は大老井伊直弼の波乱の生涯を描いたものだが、ここにも用例がある。
《中には、泥酔した米兵が、妓楼に流連荒亡して、帰艦時刻に遅れるものも続出するに及んだ。》
こちらの米兵は顎十郎の「流連荒亡」と同一視してはなるまい。顎十郎の「流連荒亡」は確信犯的なポーズなのである。当たり前のことだが、同一の語だからといって、文脈を読むことを等閑にしてはいけないと思う。用例を研究する所以だ。