スイチョウコウケイ




 翠 張 紅 閨






「翠張」は、緑色の翡翠の羽で飾ったとばり。「紅閨」は、紅色に塗り飾った立派な寝室。ともに貴女令嬢の寝室を指す。



和漢朗詠集』(下・遊女)に、次の用例が見える。
   翠張紅閨 万事之礼法雖異 舟中浪上 一生之歓会是同  以言



書き下すと「翠張紅閨 万事の礼法異なりといへども 舟の中浪の上 一生の歓会是れ同じ」となる。意味は「緑色のとばりを垂れ、紅色に塗り飾った立派な寝室で貴い女性と夜を過ごすのとは万事の儀式作法が異なるけれども、遊女と舟の中、波の上で契りを交わすのも一生の歓びであることに変わりはない」となる。遊女との契りも「翠張紅閨」を持ち出すことで趣向となる。なお「以言」は、『本朝文粋』『本朝麗藻』の作者・大江以言のこと。



平家物語』(巻八・柳が浦落ち)には、次の用例がある。
晴嵐はだへををかし、翠黛紅顔の色やうやうにおとろへ、蒼波まなこをうがち、外土望郷の涙おさへがたし。翠張紅閨にことなる埴生の小屋のあらすだれ、薫炉のけぶりにかはれる葦火たく屋のいやしきにつけても、女房たち、つきせぬ物思ひに紅の涙せきあへ給はねば、翠黛みだれつつ、その人とも見えざりけり。》



「あやしの民の屋を皇居とし、船を御所とぞさだめける」という柳が浦落ちのラストである。訳してみよう。「潮風が肌を荒らし、美人の美しい容姿も次第に衰えていき、海の風波に眼も窪み、辺境からの望郷の思いのため涙を抑えることができない。翠張紅閨の代わりに埴土を塗った粗末な小屋のあらすだれ、そして香炉に燻る煙の代わりに葦火を焚く卑しさにつけても、女房たちは尽きない物思いの血の涙がとどめかねていらっしゃって、緑の眉墨も涙に崩れ、昔の面影も見えなかった。」
「翠黛紅顔」(スイタイコウガン)は、緑の眉墨と紅く血色のよい顔のことで、美人の形容。「外土望郷」は辺境の地で都を恋い慕う気持ち。「翠張紅閨」は「翠黛紅顔」とも色の対照が密かに通い合う四字熟語であるが、「翠黛紅顔」も今や「まなこをうがち」、「翠黛みだれ」という惨めさ、「翠張紅閨」も「埴生の小屋のあらすだれ」に転落してしまった。まさに『平家物語』の冒頭にある「盛者必衰のことわりをあらはす。」というより他にない。



謡曲の例も、いくつか引こう。「江口」には「松風蘿月に言葉を交はす賓客も去つて来たることなし 翠張紅閨に枕を並べし妹背もいつの間にかは隔つらん」とあり、「定家」にも「昔は松風蘿月にことばを交はし 翠張紅閨に枕を並べ」とある。「松風蘿月」(ショウフウウラゲツ)は「松吹く風と蔦葛にかかる月」の謂で「翠張紅閨」と対句となっている。不在の表象という意味で、前二者の用例ともいろいろ通い合うようで興味深い。



ところで、中山義秀斎藤道三』には、次の用例がある。
《西村勘九郎正利が、土岐頼芸の遊宴の席に伺候した時、深芳野は「班女」を舞っていた。「翠張紅閨枕をならぶる」なまめかしいくだりである。》
念のため、謡曲「班女」も引用しておこうか。
翠張紅閨に枕を並ぶる床の上 馴れし衾の夜すがらも同穴の跡夢もなし よしそれも同じ世の命のみをさりともといつまでぐさの露の間も比翼連理の語らひ その驪山宮の私語も誰か聞き伝へて今の世まで洩らすらん》
「同穴」とあるのは、むろん「偕老同穴」。「翠張紅閨」「比翼連理」という四字熟語とも相通じていようが、一生涯を通じて別れることなく永続する契りなど夢だにないという諦念がやはり哀しい。



   翠張にさしこむ春の朝日かな  正岡子規



「翠張に」という大袈裟な初五がよく効いている。どんな美人のお目覚めだろうか。