トウコウリュウリョク




 桃 紅 柳 緑






紅の桃の花と、緑の柳。そうした春の景色のコントラストの妙を「桃紅柳緑」という。
「柳緑花紅」「鳥語花香」「柳媚花明」「花紅柳緑」「柳緑花紅」「柳緑桃紅」などとも。



出典は、王維の「田園樂」という詩。王維は画家でもあった。



《  桃紅復含宿雨 (桃は紅にして 復た宿雨を含む)
   柳緑更帶春煙 (柳は緑にして 更に春煙を帯ぶ)
   花落家僮未掃 (花落ちて家僮未だ掃はず)
   鶯啼山客猶眠 (鶯啼きて山客猶ほ眠る)     》



桃は夜来の雨を含んでいっそう色鮮やかな紅色の花をつけ、柳の緑は春霞を帯びている。花は庭先に散っているがまだ掃かれてはいない。鶯が啼いているのに、山籠もりの客はまだ惰眠を貪っておるのだろう。
大意は、大体こんなところであろう。春の情景が見事に浮かび上がってくるようだ。



謡曲『東岸居士』に「柳は緑 花は紅」とあるように、この対比は王維を濫觴としてずっと愛され続けてきた。
「桃紅柳緑」の説明では、しばしば鮮やかな色の対比を言うが、王維の詩では柳に春霞がかかっていることに留意したい。原義に照らせば、ただ鮮やかであればいいというものでもない。



宋の陸游に「遊山西村」という七言律詩があり、ここには「柳暗花明」という四字熟語が出てくる。ここでは前半のみを引く。



《  莫笑農家臘酒渾 (笑ふ莫かれ 農家の臘酒渾れるを)
   豊年留客足鶏豚 (豊年 客を留むるに鶏豚足れり)
   山重水複疑無路 (山重なり水複はり路無きかと疑ふに)
   柳暗花明又一村 (柳暗く花明るきところに又一村)  》



道が途絶えたかと思った瞬間、柳の暗いところから花の明るいところへ、視界がパアッと開ける眺望をうたっている。柳の緑は、暗。必ずしも鮮やかとは限らないと言ったのは、このような文脈もあるからである。



ただし、言葉というものは変化する。「花」と「柳」のコンビネーションは、やがて源流を離れて支流を形成していく。「花街柳巷」すなわち「花柳」、つまり遊郭を表す隠語にも結びついていくわけである。かつては農村の風景を表していたものが、都市の色街を表すようになるのだから、言葉というものは面白い。



「花顔柳腰」(カガンリュウヨウ)という四字熟語もある。「花顔柳腰の人、そもそもなんぢは狐狸か、変化か、魔性か。」は泉鏡花「義血侠血」の中の言葉だが、女性の容姿が麗しいことも「花」と「柳」のコンビネーションで表すのである。