テンシンランマン




 天 真 爛 漫






屈託がなく、無邪気なさま。心の赴くままに行動し、明るいこと。
「純真無垢」「性命爛漫」「天衣無縫」「天真独朗」「天真流露」「無縫天衣」ともいう。



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狷潔『輟耕録』が出典とされる。



《嘗て自ら一幅を写すに長さ丈余、高さ五寸許りなるべし。天真爛漫、物表に起出す。》



つまり、もともとは絵の出来映えを評する語であったのである。



なお、ついでながら『曹洞録』や『寶鏡三昧』などの禅書には「天眞而妙 不屬迷悟」(天眞にして妙なり、迷悟に屬せず)という語がある。



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久米邦武『米欧回覧実記』に用例がある。



《仮山の経営を仮らす、天然により修めて公苑とせり、故に天真爛漫として、意味深遠の勝致あり》



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夏目漱石『行人』にも次の用例が見える。



《自分は兄の気質が女に似て陰晴常なき天候のごとく変るのをよく承知していた。しかし一と見識ある彼の特長として、自分にはそれが天真爛漫の子供らしく見えたり、または玉のように玲瓏な詩人らしく見えたりした。自分は彼を尊敬しつつも、どこか馬鹿にしやすいところのある男のように考えない訳に行かなかった。自分は彼の手を握ったまま「兄さん、今日は頭がどうかしているんですよ。そんな下らない事はもうこれぎりにしてそろそろ帰ろうじゃありませんか」と云った。》



「天真爛漫」と言ったときに、まず想起されるのはやはり子供である。逆に言えば、「子供」/「大人」の別が発見された近代になってはじめて「天真爛漫」も発見されたということになる。



漱石は、前近代であれば意識されなかったであろう成人男性の中の小児性を見つけ出す傾向が強いように思う。それはもちろん、〈西洋=近代〉を「大人」としたときに〈日本=前近代〉は「子供」であるという文明論的認識ともどこかで通底していただろう。



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倉田百三「女性の諸問題」の用例にも着目したい。



《涅槃に達しても、男子は男子であり、女子は女子である。女性はあくまで女性としての天真爛漫であって、男性らしくならなければ、中性になるのでもない。女性としての心霊の美しさがくまなく発揮されるのである。》



女性を「天真爛漫」と見なしたがる男性側の言説は枚挙に暇がない。これらの言説によれば、「天真爛漫」は「子供」の属性であると同時に「女」の属性でもあると言いたげだ。しかし、正確にはこうした言説を編制することにより「女子供」が同一視されたのである。



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武田泰淳蝮のすえ」の用例も引いてみよう。



《夢の中で、私は彼女に清純な恋をしていた。私はすなおで、おとなしくしていた。彼女も天真爛漫な笑顔をしていた。二人だけが生きていて、他には誰もいなかった。二人は安心していた。安心でいられることが私には不思議だった。たしかにそんなはずはないのにと私は思った。あたりは甘い匂いがして、真夏の昼らしかった。「大丈夫なのよ」「何故?」「わからない?わかるでしょう」彼女は特徴のある眉のよせ方をして私に言いきかせた。「ウン、わかる」と私は答えたが、実はわからなかった。そして夢が終った。
「何故二人はあの時、安心していられたのだろう」床の上に置きなおってから暫く私は考え込んでいた。「そうだ。もしかしたら二人はあの時、死んでいたのかもしれない」私は最後に、そんな結論に達した。》



一見、どうでもよい夢の話のようだし、事実これまでは注目されたこともなかった箇所だが、きわめて重要な箇所である。「蝮のすえ」の冒頭が、あの有名な「「生きていくことは案外むずかしくないのかもしれない」」という死/生の反転の宣言であったことを想起しさえすれば、この箇所との照応関係もおのずと明らかであろう。



つまり、夢/現、生/死、上海/日本が反転し得るるところに、女の「天真爛漫」な笑顔も輝くのである。さらに言い換えれば、「天真爛漫」は安定したものでもなければ、絶対的なものでもなく、相対的なものであり、不安定な足場に咲く幻の花であり、だからこそ生者=死者の「天真爛漫」な表情の裏に、死者=生者の苦患の表情が潜んでいるはずだと考えなければならない。もはや戦前のように脳天気に、それこそ天真爛漫に「女子供」を「天真爛漫」と形容する態度とは似ているようでいて非なるもの、くっきり一線を画していると捉えてみる必要があるのだと思うのだが、買いかぶりすぎかもしれない。



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知里幸恵アイヌ神謡集』の序は次のように書かれる。



《其の昔此の廣い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天眞爛漫な稚兒の樣に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと樂しく生活してゐた彼等は、眞に自然の寵兒、何と云ふ幸福な人だちであつたでせう。》



この例を引けば、「天真爛漫」が他者に貼られるレッテルであったことが確定する。そして、アイヌの神謡を追放したのは誰かという問いが浮上してくるだろう。そういえば、「友よ、それを徒らな天眞爛漫と見過るな。」(「或る心の一季節―散文詩」)と警告していた詩人がいたはずだ。中原中也である。傾聴したい。









※今回の記事は「2009-09-25 天真爛漫」を増補改訂したものである。旧版は、内田魯庵『文学者となる法』、福田英子『妾の半生涯』、山路愛山三宅雪嶺氏の世之中』の用例を挙げたが、割愛した。