ムミムシュウ




 無 味 無 臭






味もなければ、臭いもしないこと。
転じて、何ら趣がなく、おもしろみに欠けること。



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正宗白鳥「他所の恋」に用例がある。



《詩としても小説としても戯曲としても無味無臭ありさうなそれ等浄化された恋愛談》



比較的新しい四字熟語であると思っていたが、正宗白鳥は「無○無○」という四字熟語を偏愛したきらいがあり、「無味無臭」も逸早く導入したと見える。先駆的かつすぐれて現代的な用例である。とはいえ、古くさいかもしれないが、恋愛談にはやはり味があり臭いが立ち上るようでなければならないと思ってもしまう。正宗白鳥が今も生きていれば、近頃の恋愛談はいよいよ無味無臭が多いと嘆くであろうか。



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豊島与志雄「梅花の気品」にも用例がある。



《梅花の感じは、気品の感じである。
 気品は一の芳香である。眼にも見えず、耳にも聞えない、或る風格から発する香である。甘くも酸くも辛くもなく、それらのあらゆる刺戟を超越した、得も云えぬ香である。人をして思わず鼻孔をふくらませる、無味無臭の香である。それと明かに捉え得ないが、それと明かに感じ識らるる、一種独特の香である。何処からともなく、何故にともなく、何処へともなく、自からに発散して漂っている、浮遊の香である。》



否定的なニュアンスで用いられることの多い中、この用例は梅花の微醺をうまく捉えていて珍しい。「花看半開、酒飲微醺」とは『菜根譚』の一節であるが、日本人は元来、微香を好むものなのかもしれない。



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坂口安吾安吾巷談 麻薬・自殺・宗教」の例も引いておく。



《今、売りだされているカルモチンの錠剤。あれは五十粒ぐらい飲んでも眠くならないし、無味無臭で、酒の肴としても、うまくはないが、まずいこともない。田中がカルモチンを酒の肴にかじっているときいたときは驚かなかったが、カルモチンでは酔わなくなって、アドルムにしたという話には驚いた。あの男以外は、めったに、できない芸当である。》



田中というのは、田中英光のこと。いかにもというか、世の無頼派イメージに最も合致してしまう用例と言えるだろう。恋愛談ならいざ知らず、酒の肴が無味無臭のドラッグであるというあたりは常軌を逸している。しかし、安吾はそんなところに驚く玉ではなかった。



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松浦寿輝「ROMS」にも用例を見つけた。



《「しかし、妙に水のにおいがしないんだ」と平岡が言った。「水のにおいってものがあるでしょう。汚染とか何とかと無関係に。それがない」
無味無臭ね。まあ社会全体がそうですよ、このご時世はね」と鶴のような老人は言って、はんぺんをゆるゆると口に入れた。(下略)」》



隅田川が臭くないという話をするシーン。



この小説は語彙は非常に豊富だが、戦争を回想するにもかかわらず、生々しさが欠けている。それは作者に戦争体験がないゆえなのか、形而下的才能の不足なのか、恐らく両方だろうと診るが、何かしっくり来るものを感じないし、かなりの物足りなさが残った。この作者の持ち味が十分には発揮できていない。老人の語りなのに、書き手の年齢が容易に推測できてしまうところの詰めの甘さが、不満の根本原因であり、そこから作者への不満が広がっていき、止まらなくなってしまった。



もちろん、平岡が本名・平岡公威、すなわち三島由紀夫を指すというかパロディにしていることは明白で、また、先の無頼派やいわゆる戦後派から疎外され、さらには机上で構成された三島の仮想の〈戦争〉がいっそう退屈なものに劣化されていく二段階のプロセスを顕在化しようとしたアイデアについてもそれなりに理解しているつもりでもあるが、私一個のごくごく素朴な読後感として、それで作者の責任を回避できているかと言えば、そうは言えないように思う。作者の立ち位置が、意図的であるにせよ、曖昧である。



もちろん、もう一つ別の論点を急いで付け加えるべきだが、テーマ自体は非常に惜しかった。無味無臭社会の到来。〈マントヒヒ〉の「加齢臭も何もいっさい臭わない国になる。小説なんかも、近頃はどうやらそういうご清潔な言葉で書かれたものばかりが流行るようじゃないか」という言葉が、そのままこの小説自体にもダイレクトに差し向けられるべき評言であるところが痛ましくはあるものの、老人を今日の老人として捉えるのではなく、近未来の老人と捉えれば理解できないこともないテーマである。だからこそ、リアリティの設計や時間の設定にもう一工夫、SF的な衣裳を施してほしかったと、くどいようだが念を押す。歴史的な事実との折り合いをどうつけてよいのか、素朴に困る。しかし、仮想化が進みそれに合わせて加齢臭の無臭化、すなわち歴史の無化が進んでいくという批評的なテーマは、今後ももっと精巧に小説というかたちでも掘り下げてほしいと嘱望するところである。松浦さんはそれができる書き手だから。



ともあれ、今後ますます「無味無臭」という四字熟語の用例が増加の一途をたどることは間違いないだろうと、この小説を読んで確信した。