キョウハクカンネン




 強 迫 観 念



頭にこびりついて離れず、打ち消そうとすればするほど強く迫ってくる不安や不合理な考え。オブセッション






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島木健作『癩』に用例がある。



《何とはなしに無気味さを覚えて寝返りを打つとたんに、ああ、またあれが来る、という予感に襲われて太田はすっかり青ざめ、恐怖のために四肢がわなわなとふるえてくるのであった。彼は半身を起してじっとうずくまったまま心を鎮めて動かずにいた。するとはたしてあれが来た。どっどっどっと遠いところからつなみでも押しよせて来るような音が身体の奥にきこえ、それがだんだん近く大きくなり、やがて心臓が破れんばかりの乱調子で狂いはじめるのだ。身体じゅうの脈管がそれに応じて一時に鬨の声をあげはじめ、血が逆流して頭のなかをぐるぐるかけ巡るのがきこえてくる。歯を食いしばってじっと堪えているうちに眼の前がぼ―っと暗くなり、意識が次第に痺れて行くのが自分にもわかるのである。――しばらくしてほっと眼の覚めるような心持で我に帰った時には、激しい心臓の狂い方はよほど治まっていたが、平静になって行くにつれて、今度はなんともいえない寂しさと漠然とした不安と、このまま気が狂うのではあるまいかという強迫観念におそわれ、太田は一刻もじっとしてはおれず大声に叫び出したいほどの気持になって一気に寝台をすべり下り、荒々しく監房のなかを歩きはじめるのであった。手と足は元気に打ちふりつつ、しかも泣き出しそうな顔をしてうつろな眼を見張りながら。》



ここでは心悸亢進に悩まされる太田の様子がリアルに表現されているが、こうした状況をただ説明するだけでは飽き足りず、「強迫観念」という語を付加したのが作家の腕である。「強迫観念」という四字熟語だけで説明した気になるのでは駄目で、説明だけでも不十分であるという意味では、この引用を小説の書き手になろうとする人に贈りたい。



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黒島伝治武装せる市街」にも用例はある。



《幹太郎は、この一家を襲っている二つの恐怖を感じた。同時に、妹も母も、支那兵の乱暴に対する強迫観念のようなものは、戦慄するほど強いが、中津の恐ろしさは、女達が、殆んど意識していないと思った。殊に、それを気にとめていないのは母だった。それが、彼は不満だった。母は、わざと、中津を家に引き入れているように見えた。彼は母と対立した。その気持は、知らず/\、言葉となって母が感じたかもしれない。》



支那兵」そして「中津」という二つの脅威は、たとえば従軍慰安婦問題に代表されるような、あるいは女性に対する男性の暴力一般と言ってもよいだろうが、より大きな内外での脅威を隠喩するものとして機能し得るだろう。「強迫観念」という四字熟語の用例を辿っていけば、内面の歴史、そして負の歴史にも照明を当てることができる。すぐれた文学の効用は、一般の言説が覆い隠す部分を無意識的に露呈させてくれるところにある。



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柏原兵三「贈り物」の用例も引く。



《私の頭の中に、その小説を読んで恐ろしい過去の思い出に再び苦しめられ始めたゲルハルト夫人の姿が、強迫観念のように泛んで来るのを、私はどうすることもできなかった。》



「その小説」とは芥川龍之介の「藪の中」を指している。そして、ゲルハルト夫人には「忘れようとし、心の密室の奥深くに封じ込めてしまうことに成功し」た「二十年前の忌まわしい記憶」があるのだが、「藪の中」が収録されたアンソロジーを贈ってしまったというのが「贈り物」の核である。



芥川賞を受賞した柏原兵三は、内向の世代と言われて期待されたが、若くして亡くなった。この「強迫観念」という四字熟語の最もすぐれた使い手の一人であった作家の再評価が待たれるところである。