バギュウキンキョ




 馬 牛 襟 裾






学識がない者。
馬や牛が衣服を着ているという意味から、無教養で礼儀知らずのことをいう。
「牛溲馬勃」「牛糞馬涎」「襟裾馬牛」ともいう。



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韓愈「符読書城南」が出典である。



《人不通古今、馬牛而襟裾 (人の古今に通ぜざるは 馬牛にして襟裾す)



「符読書城南」という詩は、有名な「灯火親しむべし」という言葉の出典としてよく知られている。父親の韓愈が息子の符に勉強を勧める詩であるが、勉強をして古今の道理に通じなければ衣服を着た動物に同じと説く。



貝原益軒『楽訓』巻の下では、この部分を引用し、次のように読書を勧める。
《ふるき書を見ず、古の道を知らざる人は、万の理に暗く、諸々の事を知らず、夢見てさめざるが如く、まよひて一生を過ごす》
韓愈の声に重ねて、読書の楽しみを知らないのは不幸であると老いた益軒も説くのである。



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大谷木忠醇「燈仙一睡夢」(『鼠璞十種』)に用例がある。
馬牛の襟裾、狗尾の続貂、論無し》
「狗尾続貂」と一緒に出てくるのが興味深い。



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森鷗外伊沢蘭軒』の用例が近代では唯一か。
《当時津軽家の中小姓に板橋清左衛門と云ふものがあつた。金五両三人扶持の小禄を食み、常に弊衣を着てゐるのに、君命を受けてお玉が池へ薬取に往く時は、津軽家の上下紋服を借りて着て、若党草履取をしたがへ、鋏箱を持たせて行つた。板橋は無邪気な漢で、薬取の任を帯る毎に、途次親戚朋友の家を歴訪して馬牛の襟裾を誇つたさうである。松田氏の云ふを聞くに、細川家も亦柏軒の病家であつた。》
文字通り、衣装を見せびらかして歩くわけである。このように、鷗外の史伝もよく読めば、素養があるということに感嘆しつつも、くくっと笑える箇所が見つかる。