ドクリツフキ




 独 立 不 羈






他に依存することなく、自分ひとりの所信で決断・行動すること。
「独立独住」「独立独歩」「独立独行」「不羈自由」「不羈自立」「不羈独立」「不羈不絆」「不羈奔逸」「不羈奔放」「不屈不絆」「放縦不羈」「奔放不羈」など類義表現は枚挙に暇がない。



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戸坂潤「思想と風俗」に用例がある。
《大隈伯の自由と云い福沢翁の実学と云い、いずれも半封建的な資本制日本の官僚的支配に対する反抗が、学問乃至教育の方針として具体化されたもので、官学的アカデミーの標準から見れば、昇格以前の私立大学(専門学校)は確かに学究的な権威に於ては到底帝大の敵ではなかったのが事実だが、併しそれだけに一つの独立不羈な生活意識に裏づけられていたので、単にブルジョア政界や財界に於てブルジョアジーの自信ある前進に沿うて進取の歩武を進めることが出来たばかりでなく、文学運動や文筆活動に於ても帝大の追随を許さぬものを示すことが出来た。》
私大と帝大の違いについて「独立不羈」「進取の歩武」を指標に論じたものである。大熊伯とは早稲田大学創始者大隈重信であり、福沢翁が慶應義塾の設立者・福沢諭吉であることは、改めて言っておくまでもないことだろう。



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福沢諭吉にはたしかに「独立不羈」の語例が多く看取される。たとえば「西洋事情」にはこうある。
《生の自由はその通義なりとは、人は生まれながら独立不羈にして、束縛をこうむるのゆえんなく、自由自在べきはずの道理を持つということなり》
「学問のすゝめ」初編にも「人の一身も一國も、天の道理に基て不羈自由なるものなれば、若し此一國の自由を妨げんとする者あらば世界萬國を敵とするも恐るゝに足らず、此一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚るに足らず。」とある。



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中島敦「弟子」にも用例がある。
子路が他の所ではあくまで人の下風に立つを潔しとしない独立不羈の男であり、一諾千金の快男児であるだけに、碌々たる凡弟子然として孔子の前に侍っている姿は、人々に確かに奇異な感じを与えた。事実、彼には、孔子の前にいる時だけは複雑な思索や重要な判断は一切師に任せてしまって自分は安心しきっているような滑稽な傾向も無いではない。母親の前では自分に出来る事までも、してもらっている幼児と同じような工合である。退いて考えてみて、自ら苦笑することがある位だ。》
子路は独立不羈の男だが、孔子にだけは従うという。



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夢野久作「鼻の表現」にも用例が見える。
《問…汝の答弁は尽くその真なる事をホリシス神に誓い得るか。
 答…誓うに及ばず。
 問…言語道断! 何故に。
 答…ダメス王の鼻、神の鼻に非ず。
 独立不羈、神を神とも思わず、ダメス王の鼻はこうして遂に神の法廷を威圧して終いました。その答弁は一つ一つに諸神を驚かすばかりでありました。真実か虚偽か、本気か冗談か、平気か狂気か、イカサマ師か怪物か、そうして有罪か無罪か判断に苦しむ大胆さ、しかも生前の主人ダメス王の真価値は勿論、神の権威の軽重までも計りそうな意気組を示しております。》
なるほど神を神とも思わぬ言動を四字熟語にすれば「独立不羈」となるだろう。なお、この作には「独立不動と不羈の向上――は余が秘密に授けた鼻の使命であった。」という一節もあり、「独立不羈」の用例として欠かすことのできぬものであると思われる。



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三島由紀夫美徳のよろめき』にも用例がある。
《与志子は概して独立不羈であつた。恒例のお茶の会も軽蔑してゐたし、慈善団体のバザーなどといふものを毛ぎらひしてゐた。それだけに直接節子の自宅を訪ねることが多く、時にはおそくまで話して、節子の良人の帰宅のあとまで遊んでゐたりした。節子の良人は与志子のことを愉快な女だと云つてゐた。》
「女の友情がないといふのは嘘であつて」という前段落を承けて現れる一段であるが、「共犯関係をひそめてゐる」「女の友情」に「独立不羈」という四字熟語が象嵌されるのがなかなか興味深い。