ジクロセンリ




 舳 艫 千 里






多数の舟がはるか彼方まで連なっていること。「舳艫相銜」ともいう。
一説によれば「舳」は舟のへさき(舟首・船首)で、「艫」は舟のとも(舟尾・船尾)のことをいう。「舳」が船尾で「艫」が船首という説もある。「舳船後持梶処。艫船頭刺櫂処也。」(『和漢船用集』)いずれにせよ、縦列をなす長い船団、あるいは舳艫ぶつかりあうような大船団を指しているのであろう。「千里」は果てしない距離を表す。



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漢書』〈武帝紀〉が典故であるとされる。
舳艫千里、樅陽に薄りて出づ。盛唐樅陽の歌を作る。》
舳艫千里、薄樅陽而出、作盛唐樅陽之歌。)



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蘇軾の名賦「赤壁賦」にも用例が見える。
《方に其の荊州を破り、江陵を下し、流れに順ひて東するや、舳艫千里にして、旌旗は空を蔽ひ、酒を釃いで江に臨み、槊を横たへて詩を賦す。》
(方其破荊州、下江陵、順流而東也、舳艫千里、旌旗蔽空。釃酒臨江、横槊賦詩。)
舟がどこまでも列なり、戦旗が空を蔽う危機の中、曹操は矛を横に置き、詩を作ったという。「舳艫千里」は『漢書』を、そして「横槊賦詩」は元槇『唐故工部員外郎杜君墓係銘序』を踏まえる。



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長林樵隠『豊薩軍記』一巻に次のような文章が見える。
《都鄙遠国の商人きそひ聚りて、人馬常に駢闐として道を避くるに地なく、港には入船出船舳艫をきしつて舟子の叫声雑踏として嘩し、富栄の謳歌巷に満つ》
いささか誇張の気味はあるものの、大友宗麟が治める土地の繁華が描かれている。



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幸田露伴「水の東京」は神田川を次のように描写している。
《幅は然のみ濶からぬ川ながら、船の往来のいと多くして、前船後船舳艫相啣み船舷相摩するばかりなるは、川筋繁華の地に当りて加之遠く牛込の揚場まで船を通ずべきを以てなり。》
日本の川ではさすがに「千里」とは言えぬのだろうが、これもまた「舳艫千里」という四字熟語のイメージを最大限に応用していると見てよい例だろう。