カンコンソウサイ




 冠 婚 葬 祭






慶弔の儀式。四大礼式。
「冠」は冠礼すなわち元服を、「婚」は婚礼を、「葬」は葬儀を、「祭」は祖先を祭る祭礼を表す。
原典に合わせて「冠昏喪祭」と書くこともある。中国語では「冠婚喪祭」と記す。



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礼記』〈礼運〉が原典である。
《其の之を行ふには、貨力、辞譲、飲食、冠昏、喪祭、射御、朝聘を以てす。》
(其行之以貨力辭讓飮食冠昏喪祭射御朝聘)
礼に関しては、三部書がある。『周礼』『儀礼』『礼記』のいわゆる三礼である。中国古代の官制を記した『周礼』、士人の冠婚葬祭に関する礼儀を記した『儀礼』に対して、『礼記』は礼に道徳的精神的意義を与えたところに特徴があるとされる。なお『礼記』の「分芸」(貨力、辞譲、飲食、冠昏、喪祭、射御、朝聘)は、『周礼』の「六芸」(礼、楽、射、御、書、数)に対応していると言われている。



『図治要伝』には「往古来今、冠婚喪祭は、人道の大礼」とある。



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福沢諭吉『学問のすゝめ』〈十二編〉に用例がある。
《演説とは英語にて「スピイチ」と云い、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思う所を人に伝るの法なり。我国には古よりその法あるを聞かず、寺院の説法などは先ずこの類なるべし。西洋諸国にては演説の法、最も盛にして、政府の議院、学者の集会、商人の会社、市民の寄合より、冠婚葬祭、開業開店等の細事に至るまでも、僅に十数名の人を会することあれば、必ずその会に付き、或は会したる趣旨を述べ、或は人々平生の持論を吐き、或は即席の思付を説て、衆客に披露するの風なり。この法の大切なるは固より論を俟ず。譬えば今世間にて議院などの説あれども、仮令い院を聞くも、第一に説を述るの法あらざれば、議院もその用を為さゞるべし。》
スピーチを推奨する有名なくだりだが、今では冠婚葬祭と言えば、このスピーチで悩まされるのが当たり前だから『学問のすゝめ』の功績を多としなければなるまい。



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井伏鱒二「ジョン万次郎漂流記」に用例がある。
《風光地形のこと、草木のこと、冠婚葬祭のこと、政治軍事のこと、その他いろいろのことを口述した。》



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織田作之助「鬼」にも用例がある。



《彼は大晦日の晩から元旦の朝へかけて徹夜で仕事をしなかった年は、ここ数年来一度もないという。それほど忙しいわけだが、しかしまた、それほど仕事にかけると熱心な男なのだ。
 だから、仕事以外のことは何一つ考えようとしないし、また仕事に関係のないことは何一つしたがらない。そういう点になると、われながら呆れるくらい物ぐさである。
 例えば冠婚葬祭の義理は平気で欠かしてしまう。身内の者が危篤だという電報が来ても、仕事が終らぬうちは、腰を上げようとしない。極端だと人は思うかも知れないが、細君が死んだその葬式の日、近所への挨拶廻りは、親戚の者にたのんで、原稿を書いていたという。随分細君には惚れていたのだが、その納骨を二年も放って置いて、いまだにそれを済ませないというズボラさである。》



今日のいわゆる「ワーク・ライフ・バランス」という言葉がなかった時代の話であるとはいえ、「冠婚葬祭」という四字熟語でさえ無視してしまうところに、この人物のズボラさは極まっていると言えるだろう。