センバイトッキョ




 専 売 特 許



1)ある人の発明に対して、その使用権を一定期間、発明者および継承者に認めること。
 「特許」「独占販売権」ともいう。
2)転じて、他には真似できない特定の人のみがなしうる特殊な技能を指すようになった。
 「特技」「特権」「独壇場」「得意分野」「特殊技能」ともいう。



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岡本かの子「老妓抄」に用例がある。



《「柚木君の仕事はチャチだね。一週間と保った試しはないぜ」彼女はこんな言葉を使うようになった。
 「そりゃそうさ、こんなつまらない仕事は。パッションが起らないからねえ」
 「パッションって何だい」
 「パッションかい。ははは、そうさなあ、君たちの社会の言葉でいうなら、うん、そうだ、いろ気が起らないということだ」
  ふと、老妓は自分の生涯に憐みの心が起った。パッションとやらが起らずに、ほとんど生涯勤めて来た座敷の数々、相手の数々が思い泛べられた。
 「ふむ。そうかい。じゃ、君、どういう仕事ならいろ気が起るんだい」
  青年は発明をして、専売特許を取って、金を儲けることだといった。
 「なら、早くそれをやればいいじゃないか」
  柚木は老妓の顔を見上げたが
 「やればいいじゃないかって、そう事が簡単に……(柚木はここで舌打をした)だから君たちは遊び女といわれるんだ」
 「いやそうでないね。こう云い出したからには、こっちに相談に乗ろうという腹があるからだよ。食べる方は引受けるから、君、思う存分にやってみちゃどうだね」
  こうして、柚木は蒔田の店から、小そのが持っている家作の一つに移った。老妓は柚木のいうままに家の一部を工房に仕替え、多少の研究の機械類も買ってやった。》



男と女。しかも、住む世界も違う。そこで「パッション」を「いろ気」と翻訳したのが何とも秀逸なのだが、特許の旧称である「専売特許」とパトロンの存在は、なるほど、今も昔も発明家にとって「色気」を催してくれる最高の媚薬なのかもしれない。



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舟橋聖一『悉皆屋康吉』に用例がある。



《「悉皆屋にだって、人生観もあれば、哲学もある。」
 「恐ろしく六カしくなって来た」
 「哲学は大学生の専売特許じゃないんんだ。世の中のどこにだって、行きわたっているのが哲学だ」
 「では、一体、どういう哲学さ」
 「二人だけの世界にも、自ら、道ってものがあるってことだ」》



ここでの「専売特許」は特許法とは関係がない、特技、特権といった意味だろう。日本ではいわゆる哲学は不人気なのだが、その分、庶民の生活の知恵というものがもう一つの哲学として輝きを見せることがある。



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坂口安吾推理小説について」にも用例がある。



《私は探偵小説を謎ときゲームとして愛してきたもので、このような真夏の何もしたくないような時には、推理小説を読むこと、詰碁詰将棋をとくのが何より手ごろだ。そのあげくに、暑気払いのつもりで、私もこの夏、本格推理小説を書きはじめたが、これは趣味からのことで、私自身は探偵小説を謎ときゲームとして愛好しているだけの話、探偵小説は謎ときゲームでなければならぬなどゝ主張を持っているわけではない。
 木々高太郎氏の探偵小説芸術論、これも探偵小説を愛するあまりのことで氏の愛情まことに深情け、あげくに惚れたアノ子を世の常ならざる夢幻の世界へ生かそうという、至情もっともであるが、いささか窮窟だ。探偵小説はこうでなければならぬなどと肩をはってはいけないもので、謎ときゲーム、芸術の香気、怪奇、ユーモア、なんでもよろしい、元々、探偵小説というものは、読者の方でも娯楽として読むに相違ないものなのだから、本来が、軽く、意気な心のあるものでなければならない。
 ドストエフスキーの「罪と罰」を探偵小説と考えてはいけないので、元々文学は人間を描くものだから犯罪も描く。犯罪は探偵小説の専売特許ではない、文学が人間の問題として自ら犯罪にのびるのに比べて、探偵小説は、犯罪というものが人間の好奇心をひく、そういう俗な好奇心との取引から自然に専門的なジャンルに生育したもので、本来好奇心に訴えるたのしいものであるべきで、もとよりそれが同時に芸術であって悪かろう筈のものでもない。
 木々氏は芸術と云うけれども、私は別の意味で、文章の練達が欲しいと思う。文学のジャンルの種々ある中で、探偵小説の文章が一般に最も稚拙だ。》



安吾独自の探偵小説論と言うべきだが、「犯罪は探偵小説の専売特許ではない」との断言が気味よく、ストンと胸に落ちる。一般に「専売特許」は否定文で用いることで、力を持つ。



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細井和喜蔵女工哀史』の用例は、肯定文でも皮肉を含ませることで成功している。



《一九二三年未だ、無頼漢と関係のない工場は皆無だ。暴力是認の工場管理法は、けだし我が大日本帝国専売特許であろう。
 工場管理者は多数の男女工が自発的に工場をよく治めて行く事を欲しない。いたずらに「服従」を第一の信条として治めて行こうとするのだ。ここにも「創造」を重んじない邦人の欠陥が見える。》



困ったら、考えもないまま管理に向かう日本人の悪弊は今日もなお至るところに燻っているだろう。しっかりと受け止めたい批判である。



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新田次郎孤高の人』にも用例がある。



《(この真冬に単独行でここへやって来る登山者がおれ以外にもいるのだろうか)
 そう思って、直ぐ加藤は、平の日電小屋の社宅の人が、数日前にひとりの登山者が針の木峠の方からおりて来たという話をしたのを思い出した。
 「なにも単独行がおれの専売特許でもあるまいし」
 加藤はそうつぶやきながら出発の用意をした。》



不世出の登山家・加藤文太郎の物語。結末の悲劇が、ときに専売特許にこだわり続け、専売特許を肯定することも必要だという教訓を残してくれる。