ケイキョモウドウ




 軽 挙 妄 動






深い考えのないまま、軽はずみな行動に出ること。
類義語は「軽佻粗暴」「軽慮浅謀」「短慮軽率」であり、対義語は「隠忍自重」「熟慮断行」「泰然自若」である。



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頼山陽『日本政記』が出典である。
軽挙妄動して、以て天下の老姦巨猾を図らんと欲するは難し》
ちなみに「老姦巨猾」は「ロウカンキョカツ」と読む。「狡くて極悪の年寄り」というほどの意味だ。



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森鷗外「堺事件」に用例がある。
《九人は是非なく本堂に引き取った。細川、浅野両藩の士が夕食の膳を出して、食事をする気にはなられぬと云う人々に、強いて箸を取らせ、次いで寝具を出して枕に就かせた。子の刻頃になって、両藩の士が来て、只今七藩の家老方がこれへ出席になると知らせた。九人は跳ね起きて迎接した。七家老の中三人が膝を進めて、かわるがわる云うのを聞けば、概ねこうである。我々はフランス軍艦に往って退席の理由を質した。然るにフランス公使は、土佐の人々が身命を軽んじて公に奉ぜられるには感服したが、何分その惨澹たる状況を目撃するに忍びないから、残る人々の助命の事を日本政府に申し立てると云った。明朝は伊達少将の手を経て朝旨を伺うことになるだろう。いずれも軽挙妄動することなく、何分の御沙汰を待たれいと云うのである。九人は謹んで承服した。》



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与謝野晶子「読書と家政」にも用例がある。
《高度の智力は婦人をして自重と謙譲と貞淑との必要を明かに理解させますから、家庭及び社会がその程度にまで婦人みずから教育しようとする気風を奨励擁護して頂きたいと思います。その程度にまで達しない粗末至極な教育を施して置きながら、学問が一概に婦人を生意気にし徳操的に堕落させる物のように臆断する世人の多いのは心外です。低級な学問をした者が軽挙妄動し諸種の誘惑に身を誤りやすいのは男も同じ事でしょう。婦人の智力の向上は婦人自身の発奮が何より大切ですけれど、周囲もまた男女に由って教育の待遇を分つ悪習を自ら反省して頂かねばなりません。》



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大岡昇平「八月十日」にも用例がある。



《イマモロが回ってきた。彼も興奮していた。
「みなさん、軽挙妄動は慎んで下さい。日本は決して負けたんやない。まだ負けとらん。ポツダム宣言を受諾してもいいと申込んだだけや。決してまだ負けたわけやないから、興奮せんように、よくいいきかして下さい」
 そして次の中隊へ移っていった。
「まあ、負けたようなもんさね。でも、みんな気をつけて下さいよ」と中隊長は四人の小隊長に向っていった。》



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司馬遼太郎関ヶ原』にも用例がある。
《吉継は、どうあっても三成の軽挙妄動をさしとめねば、と決意した。》



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武田泰淳森と湖のまつり』にも用例がある。
《今の世の中は、軽挙妄動や、武装蜂起でどうなるもんじゃない。経済を忘れて、民族独立も何もあったものじゃないだろ。経済上の損得を考えれば、妥協もしなくちゃならない。和解もしなくちゃならない。損得の勘定を忘れて、景気のいい事言ってる奴こそ、ウタリを滅ぼす張本人じゃないのかよ。》
Q村の網元・アイヌの老人のセリフは、「軽挙妄動」や「武装蜂起」に頼らない「民族独立」は可能かという大切な問題をよく考えさせてくれる。しかし、そこに「損得勘定」が必要なことは言うまでもないことだとしても、はたして、それだけか。そこに問題の根本があるのだろう。『森と湖のまつり』を読んでいると、その踏み込みの甘さに隔靴掻痒の感を抱かされる。