モンゼンジャクラ




 門 前 雀 羅






訪れる人がなく、寂れたさま。
「羅」は「網」のこと。もともとは「門前雀羅を張る」だったのが略されたもので、門の前に網を張れば雀がたくさん捕らえられるほど寂れているという意味である。対義語は「門前如市」「門前成市」。



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司馬遷史記』が出典である。
《下邽翟公有言、始翟公為廷尉、賓客闐門、及廢門外可設雀羅。 》



白居易「寓意詩」の例によって広く知られるようになった。
《賓客亦已散、門前雀羅張》



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泉鏡花婦系図」に用例がある。
《「こんな処へお通し申すんですから、まあ、堅くるしい御挨拶はお止しなさいよ。ちょいと昨夜は旅籠屋で、一人で寂しかったでしょう。」
 と火箸を圧えたそうな白い手が、銅壺の湯気を除けて、ちらちらして、
「昨夜にも、お迎いに上げましょうと思ったけれど、一度、寂しい思をさして置かないと、他国へ来て、友達の難有さが分らないんですもの。これからも粗末にして不実をすると不可ないから………」
 と莞爾笑って、瞥と見て、
「それにもう内が台なしですからね、私が一週間も居なかった日にゃ、門前雀羅を張るんだわ。手紙一ツ来ないんですもの。今朝起抜けから、自分で払を持つやら、掃出すやら、大騒ぎ。まだちっとも片附ないんですけれど、貴下も詰らなかろうし、私も早く逢いたいから、可い加減にして、直ぐに車を持たせて、大急ぎ、と云ってやったんですがね。
 あの、地方の車だって疾いでしょう。それでも何よ、まだか、まだか、と立って見たり坐って見たり、何にも手につかないで、御覧なさい、身化粧をしたまんま、鏡台を始末する方角もないじゃありませんか。とうとう玄関の処へ立切りに待っていたの。どこを通っていらしって?」》



ちなみに「婦系図」の冒頭にある、
《ちょいと吹留むと、今は寂寞として、その声が止まって、ぼッと腰障子へ暖う春の日は当るが、軒を伝う猫も居らず、雀の影もささぬ。》
という表現を想起させるが、雀すらいないというのが鏡花の工夫だったか。



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芥川龍之介侏儒の言葉」にも用例がある。
《或新時代の評論家は「蝟集する」と云う意味に「門前雀羅を張る」の成語を用いた。「門前雀羅を張る」の成語は支那人の作ったものである。それを日本人の用うるのに必ずしも支那人の用法を踏襲しなければならぬと云う法はない。もし通用さえするならば、たとえば、「彼女の頬笑みは門前雀羅を張るようだった」と形容しても好い筈である。
 もし通用さえするならば、――万事はこの不可思議なる「通用」の上に懸っている。たとえば「わたくし小説」もそうではないか?
 Ich-Roman と云う意味は一人称を用いた小説である。必ずしもその「わたくし」なるものは作家自身と定まってはいない。が、日本の「わたくし」小説は常にその「わたくし」なるものを作家自身とする小説である。いや、時には作家自身の閲歴談と見られたが最後、三人称を用いた小説さえ「わたくし」小説と呼ばれているらしい。これは勿論独逸人の――或は全西洋人の用法を無視した新例である。しかし全能なる「通用」はこの新例に生命を与えた。「門前雀羅を張る」の成語もいつかはこれと同じように意外の新例を生ずるかも知れない。》



私小説」概念が日本では本場とは全く違った意味で使われていることを、中国由来の故事成語に託けながら撃ったわけである。なるほど、イッヒロマンとは別様の展開を示す私小説に対して違和感を覚える芥川の感覚は鋭い。が、門前雀羅の方は単なる誤用ということでよいだろうが、私小説の方は、そう単純ではなかった。人称の感覚、当時の文壇の流行といった各種条件、そしてコンテクストが洋の東西では違うということを考慮に入れなければならなかった。外国文学を透明な回路を経て輸入できるという原理主義それ自体に、もう無理が生じてきていたのだ。だから、「赤信号皆で渡れば怖くない」式の枠組みを批判するだけでは十分でない。



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小酒井不木「誤った鑑定」のラストにも例がある。
《「誤まった鑑定をしたために、その後すっかり評判が悪くなって、門前雀羅を張るようになったそうです。》