フロウフシ




 不 老 不 死






いつまでも若々しく、生きながらえること。「不老長寿」「長生不老」ともいう。



列御寇列子』湯問の次の一節が出典である。
《珠玕之樹、皆叢生、華実皆有滋味、食之皆不老不死。所居之人皆仙聖之種。一日一夕飛相往來者、不可數焉。》



燕の王が「不老不死」の術を知る男に使者を遣ったが、ぐずぐずしているうちに男は死んでしまったため、王は怒り使者を死刑にしようとした。しかし、ある家臣がこう諫言したため、この使者は命拾いする。「不老不死を知っている男自身が死んでしまった。そんな人間が、どうして王を死なないようにできようか。いや、できない。」



後白河法皇撰『梁塵秘抄』には次の用例がある。
《娑婆に不思議の薬あり、法華経なりとぞ説いたまふ、ふらうふしの薬王は、聞く人あまねく賜るなり。》



中国はむろんのこと、「竹取物語」の富士山命名のエピソードからも知られる通り、わが国においても不老不死に憧れる人間の心性史は長いと言わなければならない。



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さて、不老不死は人類にとって究極の憧れであると言える。医学の進歩はめざましく、著しく寿命は延びてきているものの、まだ不老不死には至らない。しかし、不老不死とは、そんなによいものなのだろうか。



薄田泣菫「春の賦」に用例がある。



《いつの時代のことだつたか、支那に馬明生といふ人があつた。そのころ仙術といふものが流行つて、それに熟達すると、ながく老といふことを知らないで生きながらへることができるのみか、人間の持つ願望のうちで一番むづかしいといはれる飛翔すらも容易くできるといふことを聞いた彼は、早速安期生を訪ねて、弟子入りをした。安期生はその道の第一人者で、さういふことにかけては融通無碍の誉れを持つてゐた。
 馬明生は師についてながい修業の後、やつと金液神丹方といふのを伝授せられた。この神丹を服用すると、その人はいつまでも不老不死で、そしてまた生身のままで鳥のやうに空を飛ぶことができるといふことだつた。
 ながい希望を達して得意になつた彼は、人々に別れを告げて華陰山の山深く入つていつた。そして教へられた通りの秘法で仙薬を錬つた。
 彼はできあがつた薬を大切さうに掌面に載せた。顔にはほがらかな微笑さへも浮んでゐた。
「わしは、今これを服さうとしてゐるのだ。次の瞬間には、わしの身体は鸛のやうにふはりと空高く舞ひ揚ることができるのだ。大地よ。お前とは久しい間の……」
 彼はかういつて、最後の一瞥を長い間の昵懇だつた大地の上に投げた。
 その一刹那、彼の心は変つた。彼は掌面に盛つてゐた仙薬の全分量の半分だけを一息にぐつと嚥み下したかと思ふと、残つた半分を惜し気もなくそこらにぶち撒けてしまつた。
 飛仙となつて、羽ばたきの音けたたましく大空を翔けめぐるべきはずだつた馬明生の体は、見る見るうちに傴僂のやうに折れ曲つて、やがて小さな地仙となつてしまつた。》



不老不死になりそこねた男の話である。『列子』もそうだが、古今雅俗を問わず、不老不死に失敗・挫折する話型が非常に多い。



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南方熊楠『十二支考』には次の用例がある。
《『呂氏春秋』には不老長生の術を学び成した者が、虎に食われぬ法を心得おらなくて虎に丸呑みにされたとある》
虎に食われたら、その後はどうなるのだろうか。厳密に問えば、それでも生きてはいるはずなのだが、違うのか。



石原莞爾『最終戦争論・戦争史大観』には次のようにある。
《しかしこの大事業を貫くものは建国の精神、日本国体の精神による信仰の統一であります。政治的に世界が一つになり、思想信仰が統一され、この和やかな正しい精神生活をするための必要な物資を、喧嘩してまで争わなければならないことがなくなります。そこで真の世界の統一、即ち八紘一宇が初めて実現するであろうと考える次第であります。もう病気はなくなります。今の医術はまだ極めて能力が低いのですが、本当の科学の進歩は病気をなくして不老不死の夢を実現するでしょう。》
同著には「不老不死」が頻出するが、こうもある。
《しからば人間が不老不死になると、人口が非常に多くなり世界に充満して困るではないかということを心配する人があるかも知れない。しかしその心配はない。自然の妙は不思議なもので、サンガー夫人をひっぱって来る必要がない。人間は、ちょうどよい工合に一人が千年に一人ぐらい子供を産むことになる。これは接木や挿木をくりかえして来た蜜柑には種子がなくなると同じである。早く死ぬから頻繁に子供を産むが、不老不死になると、人間は淡々として神様に近い生活をするに至るであろう。》
百歩譲って不老不死になれるとなった場合にも、よくよく考えてみなければならぬ問題である。本当に人口は増えないのか、私は少なくとも石原のようには楽観できない。



司馬遼太郎項羽と劉邦』にも用例はある。
始皇帝はかれらに不老不死の霊薬をさがすことを命じ、これがために万金を散じた。》
お金がかかることも念慮に入れておく必要があろう。



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こうして考えてみると、不老不死も大変だ。
仁木英之僕僕先生』は、不老不死にも飽きた辛辣な美少女仙人と、まだ生きる意味を知らない弱気な道楽青年が、天地陰陽を旅する話らしい。「日本ファンタジーノベル大賞」受賞作というが、未読なので読んでみようと思う。*1





*1:なお、不老不死の問題を科学的な見地から考えたいのであれば、三井洋司『不老不死のサイエンス』(新潮選書)、金子隆一究極のサイエンス 不老不死』(八幡書店)、瀬川茂子不老不死は夢か―老化の謎に迫る講談社)と、さしあたりこういった辺りを読んでおくことをお薦めしたい。科学的かどうかは別とすれば、加藤千恵『不老不死の身体―道教と「胎」の思想 』(大修館書店)が私には面白かったということも付言しておく。