キョクショウヒガン




 極 小 彼 岸






人が暮らす理想の場所、原型。Nirvana Mini。
「原点回帰」「故郷回帰」「小乗涅槃」とも言えるか。



島田雅彦Nirvana Mini 極小彼岸」*1が出典である。以下は、その冒頭。



《人が暮らす理想の場所とはどういうものだろうか?
 人類の神話には驚くべき共通のパターンがある。言語の構造もまた共通である。同じように住まいの構造も基本的には似通っている。神話も言語も住まいも人間の脳や身体の構造によって、あらかじめ規定されているからだ。
 人にとって理想的な空間も突き詰めれば、その広さも形も構造も一つの原型に帰着するのではないか? その原型的な空間をユニット化することはできないか? それがNirvana Miniの狙いである。
 Nirvana Miniはとても多機能、多目的な空間である。
 それはとても狭い。定員はないが、四人入れば、いっぱいになる。
 しかし、それは意識の持ち方でいくらでも広くなる。壁の向こうに広大無辺な闇の広がりを感じることもできる。
 それは古今東西の家の基本形である。》



まだこの衝撃をうまく表現できないでいるが、このイデアは、驚嘆して腰を抜かしてしまうほどに、すごいと私は受け止めている。とりわけ言語と空間と身体をまとめて原型へと向かわせる手際と、極小=極大の幅の巨きさに圧倒される。古くて新しい哲学の誕生の瞬間ではないかと痙攣させられてしまう。『文学のトポロジー』の著者・奥野健男あたりが存命なら、きっと絶讃したことだろう。全文引用したいくらいなのだが、著作権の問題もあるので、以下の引用は略さざるを得ない。非常に残念だ。



新しい四字熟語の誕生を寿ぐ。しかし、私としては、岡倉天心茶の本」に触発されたというこのイデアを、直ちに「ニルヴァーナ・ミニ・デザイン・コンペティション」のような形でヴィジュアライズ、具現化することまでをも手放しで褒めちぎるということにはならない。



もちろん、そのようなマチエの試みを否定するわけではない。戦後日本を象徴する“団地”を表象するのに才長けた書き手が、“茶室”にフォーカスすることに意味がないとは言わない。ただ、私としては、そちらの方向にしか進展しないことを損失だと考える。つまり、このあまりに貴い四字熟語に関する限り、私はイデアリズム、つまりプラトン主義に立つので、別の方面にも積極的に展いていきたいと考える。これまでの言語−空間−身体をめぐる原点回帰の種々相を、哲学のような抽象的な場において、まとめて撃つ足がかりにしたい。Nirvana Miniは、煎じ詰めれば、影しか存在しないのではあるまいか。





*1:『新潮』(2009・1)