タイキバンセイ




 大 器 晩 成






鐘や鼎のような大きな器は作り上げるのに時間がかかるということ。転じて、大人物は遅れて才能や頭角を現すという、つまり、偉大な人物は、じっくり時間をかけて実力を養っていくため、他人より大成するのに時間を要するという意になった。「大才晩成」「大本晩成」ともいう。



老子が出典であることは広く知られている。



  大方無隅、大器晩成



「大方は隅無く、大器は晩成す。」と読むわけである。「晩成」は無論「おそくなす」と読む例も多い。
ところが、である。最近になって、とんでもない発見がなされた。これまで『老子』の現存最古の本文は八世紀初頭の石刻であったのだが、それよりも二世紀以上遡る本文が長沙で発見されたのである。そして、そこには次のように記されていたというから、声を失ってしまう。



  大方無隅、大器



なんと、「晩」ではなく、「」だったのだ!!! 
蜂屋邦夫氏によれば、「免」はいわゆる借字ではなく、「無」の意味であり、つまりは「大器は完成せず」という意味になるというから驚く。*1しかも、『老子』では人物を喩えたものではないというから、誤読とその堆積の持つ〈力〉を思わずにはいられない。傍観者としては、「大器免成」と「大器晩成」と、正と誤との綱引きによって、この四字熟語が一体どこに連れ出されるのかに、たいそう興味がある。



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というわけで、以下の用例は、一種「誤読の歴史」となってしまうが、仕方がない。



山本常朝葉隠』には、次のようにある。
大器は晩く成るといふ事有。二十年、三十年にして仕課する事にならでは、大功はなきもの也。》



岡本綺堂「当今の劇壇をこのままに」には、次のようにある。
《今の俳優の中で延そうという者も見当らないが、先ず宗之助であろう、あの人は女役が適当であると自信して、かなりいい立役が附いても喜ばぬ風であるが、とにかく年は若し、最も有望なんであろう。菊五郎吉右衛門も、今と大差なしで固ってしまうだろうし、歌舞伎座幹部連もいずれも年配で、先が見えている、大器晩成と顧客がいう栄三郎もチト怪しいものである。》



太宰治「失敗園」には、こうある。
《「僕は、孤独なんだ。大器晩成の自信があるんだ。早く毛虫に這いのぼられる程の身分になりたい。どれ、きょうも高邁の瞑想にふけるか。僕がどんなに高貴な生まれであるか、誰も知らない。」》



安岡正篤『活眼活字』には、こうある。
《考えようによっては、大器晩成という言葉があるが、人は自然が晩成した大器だ。一番後で作ることに成功した、まあ大器というてよい。》



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久保栄イプセン百年祭講演」の例も、長くなるが、挙げておこう。
《一体、イプセン大器晩成型の作家でありまして、たとえばゲーテは、もし三十で死んだとしても「ゲッツ」と「ウェルテルの悲しみ」を残して行ったわけで、しかも、この二つの作品は、同時代人を動かした傑作なのでありますが、イプセンは、もし三十で死んだとしたら、文学史上に不朽の名を残すことはできなかったでしょう。初期のイプセンがスカンヂナヴィアの伝説から取材して書いた作品は、決して傑れてはおりません。また、もし、この時期に、後の時代に見るような社会劇を書いたとしても、おそらく、その視野のせまさは、彼に傑作を許さなかったと考えられます。三十五歳で彼は初めて「両王材」を書いて世間に認められ、その後三十六歳にして放浪の旅にのぼり、二十七年間というもの故郷に帰らなかった。この間のコスモポリタンとしての生活が、実に彼の社会的視野を広やかな豊かなものとし、彼の作品のテーマに一般的な普遍性を与えたわけです。で、放浪の旅のうち二十年を彼はドイツのドレスデンミュンヒェンに過したのですが、「ブランド」「ペエル・ギュント」以下、彼の傑作は、すべて国外で書かれました。この二十七年間の外国滞在中に、彼は五ヶ国の言葉を勉強し、読書の方面ではかなり上達しましたが、会話はその一ヶ国語も満足に話せなかったそうで、日常の用さえ弁じかねた。言葉が不便なところから足を封じられて、彼は自然書斎に閉じこもり、次から次へと創作にいそしむ機会をもったと言われております。では、そういう彼が、どうして当時最も社会の注目の的となった時事問題に肉迫していったかと申しますと、彼は非常な新聞愛読者だったそうであります。当時は、電報だの電話だの輪転機などという文明の利器がはじめて応用されて、新聞が非常な活躍を始めた時代でありますが、当時のモダンな人々について申しますと、彼らがどれほどの新聞読破力をもつかということが、その人の人間学、世間学の深さをはかる標準となっていたのだそうで、その標準の正しさを裏書きしているのが、実にイプセンであります。彼のミュンヒェン時代を知っている古老の話によりますと、その町のカフェ・マクシミリアンという喫茶店の窓の上に新聞をうず高く積み上げて、そのなかに埋っているようなイプセンの姿をよく見かけたということであります。後年クリスチャニヤに帰ってからも、イプセン老人は、頑強に面会謝絶を押し通したそうですが、しかし、毎日正午になると、悠然としてウェストミンスタア・ホテルに現われて、一杯のビールを命じ、外国新聞を取り寄せて、二時間というもの欠かさず読みふけった、さらに六時になると、もう一度、イプセンはそこへ現われて、ピョルテルというウィスキーの一種を命じ、今度は自国の新聞に読みふけった、ことに裁判所の記事に眼をとめたということであります。七十歳になったイプセンは、述懐の詞を洩らして、長い年月、外国を渡り歩いたものは、その心の奥底では、どこにも安住の地を見出せない、故郷すら他国であるといっておりますが、彼は実にコスモポリタンであり世界人であった。このコスモポリタンとしての生涯が、しかし、作家としてのイプセンに非常な寄与をしていることは、すでに申上げたとおりであります。》



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そういえば、非常にどうでもよいことだが、私は〈読むだけの偏った語学・新聞だけは熟読・放浪癖〉の3点でイプセンと似ていると言えなくもない。そんな私は、幼い頃、母から「大器晩成」という言葉で励まされ、たいそう勇気づけられた経験を持つ。それが今でも大切な心の支えになっているくらいだから、「大器晩成」という言葉は、後生だからなくならないでほしいと切に願っている。



とはいえ、二者択一にする必要はない。「大器免成」という言葉も、広がりをみせてほしい。学者の新説というものは、きちんと世に反映され、報われるべきである。私自身も、子供のころならばともかく、大人になった今となっては、自身がイプセンに及ばぬことは骨身に沁みてよく分かっている。むしろ「完成しない」と言われた方がホッとしもするのだ。



何だか訳の分からない文章になりつつあるが、ともあれ、これから「大器免成」の用例を文学史に刻む作家が必ずや現れるだろうから、それが誰の手になり、どのような用例になるのか、今から楽しみにしようと思う。


*1:蜂屋邦夫訳注『老子』(岩波文庫 2008・12)および蜂屋邦夫「「大器は完成せず」について」(『図書』2009・6)参照。