フウセイカクレイ




 風 声 鶴 唳






風の音と鶴の鳴き声。または、些細なことに驚いたり、怖じ気づいたりすること。
「萎縮震慄」「影駭響震」「鶴唳風声」「疑心暗鬼」「跼天蹐地」「細心翼々」「小心小胆」「小心翼々」「戦々兢々」「戦々慄々」「草木皆兵」「落ち武者は芒の穂にも怖ず」「水鳥の羽音に驚く」



房玄齢・李延寿ほか『晋書』謝玄伝に、こういう故事があった。
前秦の符堅の軍は戦いに敗れた。そのときの敗兵は風の音を聞き、鶴の声を聞いて、敵軍の追撃と勘違いして恐れをなし敗走した。これが出典である。(「堅衆奔潰(略)棄甲宵遁、聞風声鶴唳、皆以為王師已至」)



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福沢諭吉文明論之概略」には「十万の勇士風声鶴唳を聞て走ることあり」とあり、「福翁自伝」にも「私が暗殺を心配したのは毎度の事で、あるいは風声鶴唳に驚きました」とある。「時事新報」雑報欄には、こんな用例もあった。
《◎天皇の御親政 我が時事新報紙上に『御親征の準備』と題したる一篇を掲げたることあり。朝鮮人これを見て、よくもその文意を翫味せず、ただ一概に日本は支那と開戦するにつき日本天皇には御親政ある由と誤解せしが、その後天皇陛下が福岡県へ行幸あらせらるる由を伝聞し、果たせるかな日本天皇は御親政せらるるなり、日支開戦は今日なるか明日なるかとて、その騒擾一方ならず、遂には朝鮮政府より内々英国政府へわが国は日支両国の開戦に中立すべきにつき保護ありたしと申し送りたるよしなり。然るに天皇陛下行幸も一時御延引、親王これに代わられたる由を聞かば、日本政府の真意はじめて明らかに朝鮮人に分かりて、必ずさきの狼狽に一笑を催し、朝鮮もまず当分は南顧の患少なきを知ることならんという。この一話は長く朝鮮にありて最近の船便に帰国せし人につき直に聞くところなるが、風声鶴唳もまた国家を軽重することあるを知るべし。》



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菊池寛「乱世」には、こんな用例がある。
《格之介の逃亡の理由が分かるにつれ、桑名藩士も官軍の人たちも、格之介が風声鶴唳におどろいて逃走を企て、捨てぬでもよい命を捨てたことを冷笑した。》
たしかに、この世には気が小さくて命を落とすタイプもあるが……。



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林不忘「口笛を吹く武士」にも用例がある。
《一角は、笑った。
「またですか。私はまた、この本所の万屋で小豆屋善兵衛というやつ、それがじつは、赤浪の化けたのだと聞かされたことがあります。たしか、かんざし四五郎とか、五五郎とか――しかし、埓もない。そうどこにも、ここにも、赤浪が潜んでおってたまるものですか。そんなことをいえば、出入りの商人や御用聞きも、片っ端から赤浪だろうし、第一、そういうあなたこそ、赤穂浪士錚々たるものかも知れませんな、あっはっはっは、いや、風声鶴唳風声鶴唳――。」》
全員が赤穂浪士に見えてしまうという滑稽。



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太宰治「禁酒の心」には次のような用例がある。
《「おい、それでは、そろそろ、あの一目盛をはじめるからな、玄関をしめて、錠をおろして、それから雨戸もしめてしまいなさい。人に見られて、羨やましがられても具合いが悪いからな。」なにも一目盛の晩酌を、うらやましがる人も無いのに、そこは精神、吝嗇卑小になっているものだから、それこそ風声鶴唳にも心を驚かし、外の足音にもいちいち肝を冷やして、何かしら自分がひどい大罪でも犯しているような気持になり、世間の誰もかれもみんな自分を恨みに恨んでいるような言うべからざる恐怖と不安と絶望と忿懣と怨嗟と祈りと、実に複雑な心境で部屋の電気を暗くして背中を丸め、チビリチビリと酒をなめるようにして飲んでいる。
「ごめん下さい。」と玄関で声がする。
「来たな!」屹っと身構えて、この酒飲まれてたまるものか。それ、この瓶は戸棚に隠せ、まだ二目盛残ってあるんだ、あすとあさってのぶんだ、この銚子にもまだ三猪口ぶんくらい残っているが、これは寝酒にするんだから、銚子はこのまま、このまま、さわってはいけない、風呂敷でもかぶせて置け、さて、手抜かりは無いか、と部屋中をぎょろりと見まわして、それから急に猫撫声で、
「どなた?」》
太宰に「風声鶴唳」という四字熟語はよく似合う。小事を大袈裟に書くことに長けているというか。可笑しい。



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渡辺一夫ガーター勲章について」にも「朝な夕なに風声鶴唳に驚かされる乱世の逸民たる我々下々の者ども」という用例がある。