コウコクノココロザシ




 鴻 鵠 之 志






遠大なこころざし。
「鴻」は「おおとり」、「鵠」は「くぐい」のこと。いずれも大きな鳥であり、そこから英雄や豪傑などの大人物のこころざしを言うようになった。「青雲之志」「図南鵬翼」にほぼ同じ。



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司馬遷史記』を見ると、正確には「燕雀安知鴻鵠之志哉(燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや)」であることが知れよう。
これは、劉邦項羽に先駆けて挙兵した秦末の指導者・陳渉(陳勝の若き日の言葉である。陳渉がまだ日雇い農夫だったころ、「金持ちになってもお互いに忘れずにいよう」と言ったのだが、「お前は農夫ではないか、どうして金持ちになれるんだ」と笑われた。しかし、襤褸を纏っていた陳渉はやがて錦をきらめかせる王となる。要するに「燕雀」は小さい者、そして「鴻鵠」は大きな者の喩えで、小人物は大人物のスケールの巨きな志を理解できないということを揶揄したものである。
なお陳渉の「王侯将相いずくんぞ種あらんや」という名言も忘れられない。「王や諸侯、将軍、宰相になるのに血筋や家柄が必要なわけではない。」という意味だ。併せて銘記しておく次第である。



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夏目漱石吾輩は猫である』に次のような会話がある。
《「どうも先生の冗談は際限がありませんね」と東風君は大に感心している。すると独仙君は例の通り山羊髯を気にしながら、のそのそ弁じ出した。
「冗談と云えば冗談だが、予言と云えば予言かも知れない。真理に徹底しないものは、とかく眼前の現象世界に束縛せられて泡沫の夢幻を永久の事実と認定したがるものだから、少し飛び離れた事を云うと、すぐ冗談にしてしまう」
燕雀焉んぞ大鵬の志を知らんやですね」と寒月君が恐れ入ると、独仙君はそうさと云わぬばかりの顔付で話を進める。》
「鴻鵠」が「大鵬」になっているのが、書き手の故意なのか錯覚なのかが判然としないが、大意に変わりはあるまい。



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岡本綺堂「青蛙神」も「大鵬」になっている。漱石も綺堂もそうなのだから、恐らく私が不勉強なだけで、影響力の強い底本がどこかにあったのだろう。



《李中行 なんでおれが寝ているものか。夜明けからちゃんと起きているのだ。
 柳 起きているか、死んでいるか、判るものか。秋の日は短いというのに、なぜ朝からぶらぶら遊んでいるんだよ。
 李中行 遊んでいるのではない。こうして黙って坐っていても、おれには又おれの料簡がある。燕雀いずくんぞ大鵬のこころざしを知らんと、昔の陳勝呉廣も云っているのだ。
 柳 なんの、聴き取り学問で利口ぶったことを云うな。百姓が畑へも出ないで、毎日のらくらしていてそれで済むと思うのかよ。早く刈込んで来なければ、たべ物ばかりか、焚き物にも困るじゃないか。ほんに、ほんにお前のような人は豚にも劣っているのだ。》



この対話は鴻鵠/大鵬の差異を別にすれば、百姓という設定からしても、部分的には原典に忠実な複写と言えよう。



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小熊秀雄『文壇諷刺詩篇』の用例を見ても「大鵬」になっている。



武田麟太郎
 おゝ、吾が友よ
 高邁なる精神の見本そのものよ、
 羽織の下に衣紋竿を
 背負つてゐるだらう、
 肩をいからし
燕雀、何ぞ大鵬の志を
 知らんや

 と呟きつゝ銀座を歩いてゐる
 果して彼は
 燕雀なりや、
 大鵬なりや、
 神さまだけがそれを知つてござらう。》



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芥川龍之介「念仁波念遠入礼帖」というテクストは面白い。
燕雀生といふ人、「文芸春秋」三月号に泥古残念帖と言ふものを寄せたり。この帖を見るに我等の首肯し難き事二三あれば、左にその二三を記し、燕雀生の下問を仰がん。》
という書き出しで「燕雀生といふ人」を完膚無きまでにこき下ろすのだ。結びは次のようである。
《「青雲の志ある者の軽々しく口にすべき語にあらず」とは燕雀生の独り合点なり。
 文芸春秋の読者には少年の人も多かるべし。斯る読者は泥古残念帖にも誤られ易きものなれば、斯て念には念を入れて「念仁波念遠入礼帖」を艸すること然り。大鵬生》
最後の署名「大鵬生」に芥川というまだ若すぎる天才作家の鼻持ちならぬ高踏ぶりがよくうかがえよう。しかし、指摘は正鵠を射ており、ぐうの音も出せないところが味噌。なお「念仁波念遠入礼帖」は「念には念を入れ帖」と読む。



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結局、今回の調査では、少なくとも近代文学の用例を見るかぎりという条件つきであるが*1「燕雀」の対は「鴻鵠」より「大鵬」の方が優勢であるということがわかった。要調査、である。


*1:訂正:滑稽本「八笑人」にも「燕雀なんぞ大鵬の心をしらん」とあるため、近世にまで遡ることができる。