タジタナン




 多 事 多 難






事件や困難が多くて大変なさま。
類義語は「多事多患」、対義語は「平穏無事」である。



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木下尚江「火の柱」に「多事多難なる明治三十六年」という言い回しが出てくるように、この四字熟語は「時代」や「国家」を説明する際によく使うようだ。



安能務「八股と馬虎」では、次のように使われる。
《国家が多事多難の折柄、もしこの私が身を退くことによって、政府の団結が出来るならば、私は悦んで下野します。》



北杜夫「楡家の人びと」では、次のようである。
《しかし乍ら聖戦大建設の前途尚多事多難と存じます。》



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ただし、手紙や個人史で使う例もないではない。



芥川龍之介は晩年、佐々木茂索宛書簡で「多事多難多憂、蛇のやうに冬眠したい。」と愁訴している。



坂口安吾「ジロリの女」は“個人史”での使用例として引く。
《金龍と私との十年の歳月は多事多難であったが、又、夢のようにも、すぎ去った。私は多情多恨であり、思い屈し、千々に乱れて、その十年をすごしはしたが、なにか切実ではなかったような思いがする。》
「多事多難」と「多情多恨」。「多○多○」という形の四字熟語を並べたところが技巧と言えば技巧か。ただし、この“技巧”は、言うまでもなく、ファルスのそれであるが……。



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森見登美彦『恋文の技術』にも、この四字熟語は出てくる。



《研究は着実に進んでいるか?
 と、戯れに本質をついてみたりするお茶目な俺を許せ。
 俺も進んではいない。おれはいったいクラゲなんぞというものの何に興味をもったのだろうか。研究はむしろ後退戦の様相を呈している。多事多難
 では、さらばぢゃ。》



では、さらばぢゃ。