サイカイモクヨク




 斎 戒 沐 浴






神聖な儀式を前に、飲食や行動を慎み心身の不浄を洗い清めること。
「精進潔斎」「沐浴斎戒」「六根清浄」「和敬清寂」。



  ★



孟子』の次の一節が出典である。



 《孟子曰、西子蒙不潔、則人皆掩鼻而過之、雖有惡人、斎戒沐浴、則可以祀上帝。》



「西施のような絶世の美女でも、汚物をひっかけられたら、人は皆鼻をつまんで横を通り過ぎる。他方、不器量な人でも、心身を清めれば、天帝にお仕えすることもできる。」という意味である。先天的な才能よりも、後天的な努力を奨励する文章として名高い。当世風に言えば、インナー・ビューティのすすめ、といったところだろうか。



  ★



高村光雲「幕末維新懐古談」に用例がある。宮中から鏡縁の彫刻を仰せつけられたときの回顧である。



《鏡縁は大きなもので、長さ七尺、巾四尺位、縁の太さが五寸。その周囲一面に葡萄に栗鼠の模様を彫れということで御座いました。右の材料は花櫚で、随分これは堅くて彫りにくい木であります。早速お引き受けは致したが、何しろ押し詰まってのことでその年はどうにもならず、明けて明治二十一年、新春早々から取り掛かりました。普通、庶人の注文とは異なって、宮中の御用のことで、わけて御化粧の間の御用具の中でも御鏡は尊いもの、畏きあたりの御目にも留まることで、仕事の難易はとにかく事疎かに取り掛かるものでないから、斎戒沐浴をするというほどではなくとも身と心とを清浄にして早春の気持よい吉日を選んでその日から彫り初めました。》



高村光雲高村光太郎の父親でもあるが、この父の栄誉は息子の詩人・光太郎にもいろいろな意味で影響したものと思われる。



  ★



坂口安吾デカダン文学論」の用例ともなると、この熟語も趣が違ってくる。



《極意だの免許皆伝などといふのは茶とか活花とか忍術とか剣術の話かと思つてゐたら、関孝和の算術などでも斎戒沐浴して血判を捺し自分の子供と二人の弟子以外には伝へないなどとやつてゐる。尤も西洋でも昔は最高の数理を秘伝視して門外不出の例はあるさうだが、日本は特別で、なんでも極意書ときて次に斎戒沐浴、曰く言ひ難しとくる。私はタバコが配給になつて生れて始めてキザミを吸つたが、昔の人間だつて三服四服はつゞけさまに吸つた筈で、さすればガン首の大きいパイプを発明するのが当然の筈であるのに、さういふ便利な実質的な進歩発明といふ算段は浮かばずに、タバコは一服吸つてポンと叩くところがよいなどといふフザけた通が生れ育ち、現実に停止して進化が失はれ、その停止を弄んでフザけた通や極意や奥義書が生れて、実質的な進歩、ガン首を大きくしろといふやうな当然な欲求は下品なもの、通ならざる俗なものと考へられてしまふのである。キセルの羅宇は仏印ラオス産の竹、羅宇竹から来た名であるが、キセルは羅宇竹に限るなどと称して通は益々実質を離れて枝葉に走る。フォークをひつくりかへして無理にむつかしく御飯をのせて変てこな手つきで口へ運んで、それが礼儀上品なるものと考へられて疑られもしない奇妙奇天烈な日本であつた。実質的な便利な欲求を下品と見る考へは随所に様々な形でひそんでゐるのである。》



ただの難癖と解するか、痛烈な批判と捉えるかは読者によって様々あってよかろうが、先の高村光雲、あるいは宮本百合子「透き徹る秋」の
 《仏像の製作者が、先づ斎戒沐浴して鑿を執つた、そのことの裡に潜む力》
を云々する言説と対置してみたとき、坂口安吾という作家の特異性が浮かび上がってくることは間違いない。



坂口安吾「我鬼」にも「斎戒沐浴」の用例があるのだが、これもまた従来の用例とはひどく趣が違っている。言葉に重みがなく、軽いのだ。「斎戒沐浴」という四字熟語に余分な重みを与えぬのが、たぶん安吾流なのだろう。



《彼は突然世上の浮説を根拠にして秀次の謀叛に誓問の使者をたて、釈明をもとめた。秀次はその要求に素直であつた。直ちに斎戒沐浴し白衣を着け神下しをして異心の存せざる旨誓紙を書いた。彼は必死であつた。生きねばならぬ一念のみが全部であつた。彼は現世の快楽に執着した。その執着の一念であつた。》



「必死」とあるように、人物の思いは熱い。だが、書き手の眼は冷めている。「デカダン文学論」と同じように透徹している。