コフクゲキジョウ




 鼓 腹 撃 壌






理想的な政治が行き届き、人々が平和な生活を送ること。
「含哺鼓腹」「撃壌之歌」。「光風霽月」としても、ほぼ同義か。「腹を鼓し壌を撃つ」と訓読することもある。
「鼓腹」は腹を太鼓のようにポンポコと打つこと。「撃壌」は地面を踏み鳴らして拍子をとること。ただし、履物を遠くから投げて当てる遊びを「撃壌」と言うという説もある。



曾先之十八史略』に、中国古代の伝説的な聖天子である堯の記事がある。あまりに有名な話なので、ごくごく簡単に要約してしまおう。
政治へのクレームが全く来なくなったので、身をやつして市井に降りてみたところ、ある老人が口に食べ物を詰め込んで、腹を太鼓のように打ち、地面を叩いて拍子をとりながら、「日出でて作き、日入りて息ふ。井をほりて飲み、田を耕して食ふ。帝力何ぞわれにあらんや」と言うのを聞いて、堯は自分の政治が行き渡って太平の世になっていることを知り、満足したという話である。



「帝力何ぞわれにあらんや」というのは、「帝の力は私には及んでいない」という意味だが、この話の肝は、理想的な政治は為政者の存在を民に意識させないというところだ。民は治安が悪いと政治を意識するが、平穏無事なときには政治を意識しもしないということを表現する代表的なエピソードと言えよう。



《治天下五十年、不知天下治歟、不治歟、億兆願戴己歟、不願戴己歟。問左右、不知。問外朝、不知。問在野、不知。乃微服游於康衢。聞童謡曰、「立我烝民 莫匪爾極 不識不知 順帝之則」有老人、含哺鼓腹、撃壌而歌曰、「日出而作 日入而息 鑿井而飲 耕田而食帝力何有於我哉」》



太宰治津軽』に、用例がある。



《このように蟹田町は、田あり畑あり、海の幸、山の幸にも恵まれて、それこそ鼓腹撃壌の別天地のように読者には思われるだろうが、しかし、この観瀾山から見下した蟹田の町の気配は、何か物憂い。活気が無いのだ。いままで私は蟹田をほめ過ぎるほど、ほめて書いて来たのであるから、ここらで少し、悪口を言つたつて、蟹田の人たちはまさか私を殴りやしないだらうと思はれる。蟹田の人たちは温和である。温和といふのは美徳であるが、町をもの憂くさせるほど町民が無気力なのも、旅人にとつては心細い。天然の恵みが多いといふ事は、町勢にとつて、かへつて悪い事ではあるまいかと思はせるほど、蟹田の町は、おとなしく、しんと静まりかへつてゐる。》



普通に考えれば、天然の恵みが多いことと、活気がないことの間には、直接の因果関係はない。そこを無理に関連させているところに「非文法性」を感じてしまう。そこで穿った見方をすれば、やはり当時の政治の悪さが間接照明のように射しているのではないかとも思う。



たとえば「走れメロス」でも政治が悪くて、活気のないシラクスという市が出てくる。もちろん、だからと言って、戦時下にあって、「政治が悪い」とはっきり言えるわけもない。下手をすると、天皇批判、不敬罪になってしまうからだ。



走れメロス」にしても「津軽」にしても、原因を有耶無耶にせざるを得なかった。そうであったからこそ「鼓腹撃壌」という四字熟語を選びとり、そういった批判を紙背に隠したのかもしれない、という解釈は流石に邪推だろうか。改めて考えてみたい。









関連項目:「堯階三尺」http://d.hatena.ne.jp/Cixous/20100126