キリャクジュウオウ




 機 略 縦 横






策略を状況に応じて自在に巡らし用いること。
「奇策縦横」「機知奇策」「機知縦横」「機謀権略」「神機妙算」「神算鬼謀」「知略縦横」といった四字熟語もある。



夢野久作「山羊髯編輯長」に用例が見える。



《実際一つの新聞の編輯長となると、どんな貧弱な新聞社へ行っても相当の働らき盛りの、生き馬の眼を抜きそうな人間が頑張っている。一筋縄にも二筋縄にもかからない精力絶倫、機略縦横、血もなく、涙も無いといったような超努級のガッチリ屋が、熊鷹式の眼を爛々と光らしているものだ。
 ところがこの玄洋日報社はドウダ。
 見る影も無いビッコの一寸法師で、木乃伊同然に痩せ枯れた喘息病みのヨボヨボ爺と云ったら、早い話が、人間の廃物だろう。そいつが煎餅の破片みたいな顎に、黄色い山羊髯を五六本生やして、分厚い近眼鏡の下で眼をショボショボさせている姿は、如何に拝み上げても山奥の村長さんか、橋の袂の辻占者か、浅草の横町でインチキ水晶の印形を売っている貧乏おやじが、秋風に吹かれて迷い込んで来たとしか思えないだろう。吾輩みたいな、東京中の新聞社を喰い詰めた、パリパリの摺れっ枯らし記者の上に立つ編輯長とは、どう割引しても思えないだろう。》



一般的な新聞の編集長のイメージをあえて登場させることで「玄洋日報社」の編集者の駄目さ加減を浮き彫りにしたところ。漫画っぽい筆致が楽しい。「玄洋日報社」というのは、たぶん実在しない。「玄洋社」と玄洋社系の新聞「九州日報」を合成したものか。



司馬遼太郎「世に棲む人々」によれば「革命の中期には卓抜な行動家があらわれ、奇策縦横の行動をもって電電風雨のような行動をとる」というから、武将を対象に「機略縦横」の四字熟語が使用されることもあるだろうと思って調べると、井伏鱒二「貝の音」に「戦国武将のうち、機略縦横の名将と云はれてゐた武田信玄も近眼であつた」という用例があった。PHP文庫からはズバリ『機略縦横! 真田戦記』というタイトルの本も出版されている。戦国武将を評して「機略縦横」というのは、一つの定型と言ってよいかもしれない。



矢野龍渓「不必要」にも「機略縦横で、且つ意思が強くないと行かんです」という用例がある。



『國語と國文學』という雑誌を読んでいたら、書評で「機略縦横」という四字熟語が使われていた。書評者曰く「こうした機略縦横な理論や思想の援用は、論述の枠組みとして自然な引用となっており、著者の努力の跡が著しい。」こういう褒められ方をしたら、さぞうれしかろう。逆にいうと、無理な援用、引用が跳梁跋扈しているという学界への批判にもなっている。