ハンブンジョクレイ




 繁 文 縟 礼






法規、規則、礼儀作法などが細々していて、煩わしいこと。形式を重んじるあまり、手続きが煩雑になること。「無用の虚礼」「繁文錯節」「繁文縟節」「繁縟」ともいう。



徳富蘇峰「大日本膨張論」には次の用例がある。
《文明病とは何物ぞ。(中略)制度の上に於ては、繁文縟礼を意味し。個人の上に於ては、人心の腐敗を意味す》



折口信夫若水の話」にも用例がある。
《此風が何時までも残つてゐて、民間でも「おめでたう」は目下に言うたものではなかつたのである。「をゝ」と言つて、顎をしやくつて居れば済んだのだ。
幾ら繁文縟礼の、生活改善のと叫んでも、口の下から崩れて来るのは、皆がやはりやめたくないからであらう。「おめでたう」の本義さへ訣らなくなるまで崩れて居ても、永いとだけでは言ひ切れぬ様な、久しい民間伝承なるが故に、容易にふり捨てる事は出来ないのである。》
ここで脱線するが、「あけましておめでとう」という挨拶が、実は目下が目上に言う言葉で、その逆はないという事実も興味深い。



太宰治「惜別」は清国を激烈に批判する。
《清国政府は、この科学の猛威に対して何のなすところも無く、列国の侵略を受けながらも、大川は細流に汚されずとでもいうような自信を装って敗北を糊塗し、ひたすら老大国の表面の体裁のみを弥縫するに急がしく、西洋文明の本質たる科学を正視し究明する勇気無く、学生には相も変らず八股文など所謂繁文縟礼の学問を奨励して、列国には沐猴而冠の滑稽なる自尊の国とひそかに冷笑される状態に到らしめた。自分は支那を誰にも負けぬくらいに愛している。愛しているから、不満も大きい。いまの清国は、一言で言えば、怠惰だ。わけのわからぬ自負心に酔っている。》
この批判が面白いと思うのは「自分は支那を誰にも負けぬくらいに愛している。愛しているから、不満も大きい。」という一節で、教師か父親のようなこのフォローがあるかどうかが大事だろう。しかし、今日の日本もうかうかしてはいられない。他山の石とすることを忘れたら、同じ轍を踏むことになるだろう。



島崎藤村『夜明け前』には、私の調べたところ二箇所の用例があるが、そのうちの一つ。
《もっと政治は明るくして新鮮な空気を注ぎ入れなければだめだとの多数の声に聞いて、京都の方へ返すべき慣例はどしどし廃される、幕府から任命していた皇居九門の警衛は撤去されるというふうに、多くの繁文縟礼が改められた時、幕府が大改革の眼目として惜しげもなく投げ出したのも参覲交代の旧い慣例だ。》



辻邦生西行花伝』にも、見事な一文がある。
《歌なき宮廷は操り人形の群がる繁文縟礼の行政所にすぎない。》
世に公務員批判の言説は溢れかえっているが、辻さんのこの一文を読むと、広義の「歌」の不在が原因ではなかろうかとつい考えてしまう。



中里介山大菩薩峠』椰子林の巻に出てくる北条早雲についての談話も非常に印象的だ。
《「北条早雲という男も、なかなかの傑物であったに相違ない、赤手空拳でもって、関八州を横領し、うまく人心を収攬したのはなかなかの手腕家だ。当時、関八州管領の所領であって、万事京都風で、小むずかしいことばかりであった、ちょうど今時はやりの繁文縟礼であったのだ、そこへ早雲が来て、この繁文縟礼の弊風を一掃してしまい、また苛税を免じて民力の休養をはかった、つまりこれで、うまく治めたのだ。徳川時代には、小田原附近から関八州へかけてが、全国中でいちばん地租の安いところであったが、これは全くの早雲の余沢だ」 》
ストレートな政治的な発言は私の趣味ではないが、今のような時代には、この早雲のような改革者が切に求められているのではないだろうか。