カロトウセン




 夏 鑪 冬 扇






夏炉冬扇」とも書く。
夏の囲炉裏や冬の扇のように時期はずれなもの、無用なもの、役に立たないもののことをいう。君主の信用や寵愛を失った者、恋人に捨てられた女性をいうこともある。
冬扇夏炉」「冬箑夏裘」(トウソウカキュウ)「六菖十菊」(リクショウジュウギク)ともいう。



「夏炉冬扇」は文学や文学者そのものの比喩であることがあるので、注意を要する。辞書的な意味だけしか知らないのでは心許ない。



「夏炉冬扇」と言えば、やはり松尾芭蕉である。周囲に「婀娜なる人」(役立たず)と言われた俳聖・芭蕉は、弟子の森川許六にこんな言葉を残している。「予が風雅は、夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて、用ふるところなし。」と言っている。つまり、私の俳諧は日常生活の役には立たないから「夏炉冬扇」だと僭称したのだ。しかし、こういう無用の自覚が一ステップ挟んであるからこそ、芭蕉俳諧は力を持つのだろう。だからこそ、蕉門は言うに及ばず、後世、たとえば中川一政「夏炉冬扇」(『我思古人』所収)などにも強い影響を与えた。



眞鍋呉夫によれば、檀一雄もまた芭蕉の「夏炉冬扇」に通じる文学者であるという。なるほど「埋葬者」という短篇の「有限の生命を鍛冶して、この帰結のない戦いをいどめ」という一節を引用されてみると、「必敗の戦士」たらんとした檀一雄もまた、芭蕉と同じかどうかはともかくとしても、無用者の自覚の強い作家であったことは否めず、首肯される。



泉鏡花「義血侠血」には、素朴な用例がある。



《従来の滝の白糸は、まさにその放逸を縛し、その奇骨を挫ぎて、世話女房のお友とならざるを得ざるべきなり。渠はついにその責任のために石を巻き、鉄を捩じ、屈すべからざる節を屈して、勤倹小心の婦人となりぬ。その行ないにおいてはなおかつ滝の白糸たる活気をば有ちつつ、その精神は全く村越友として経営苦労しつ。その間は実に三年の長きに亙れり。
 あるいは富山に赴き、高岡に買われ、はた大聖寺福井に行き、遠くは故郷の新潟に興行し、身を厭わず八方に稼ぎ廻りて、幸いにいずくも外さざりければ、あるいは血をも濺がざるべからざる至重の責任も、その収入によりて難なく果たされき。
 されども見世物の類は春夏の二季を黄金期とせり。秋は漸く寂しく、冬は霜枯れの哀れむべきを免れざるなり。いわんや北国の雪世界はほとんど一年の三分の一を白き物の中に蟄居せざるべからざるや。ことに時候を論ぜざる見世物と異なりて、渠の演芸はおのずから夏炉冬扇のきらいあり。その喝采は全く暑中にありて、冬季は坐食す。》



言わずと知れた「滝の白糸」の原作。最近の北陸は暖冬のためか、それほど雪が多くないから「北国の雪世界はほとんど一年の三分の一を白き物の中に蟄居せざるべからざるや。」という言葉との齟齬も大きくなってしまったし、また生活様式の変化によって、団扇がクーラーに、囲炉裏がファンヒーターに変わってもしまったのだが、しかし、それでも「夏炉冬扇」という四字熟語には今なおしっくり来るものもあるから不思議だ。



※補足:
保田與重郎『日本語録』の例を落としていた。「芭蕉といふ人の作品語録は沢山にあつて、達人の言に満ちてゐるから、かういふ概括的な語録に一つを選ぶことは難しい」と言いながら「夏炉冬扇」の四字を選んでいる。