ゴウキボクトツ




 剛 毅 木 訥






意志は強く挫けない性格なのに、無口で飾り気は無い。
「剛毅」が意志が強いことを表し、「木訥」が無口で無骨なことを指す。「木訥」は「朴訥」「朴吶」とも表記する。
対義語は「巧言令色」。類義語には「剛健質実」「剛健質朴」「志操堅固」「質実剛健」「質朴剛健」「聡明剛毅」などがある。



出典は『論語』。「巧言令色、鮮矣仁。剛毅木訥、近仁。」
「巧言令色」は口先の言葉が巧みで、愛想がよいことを指すが、孔子は「剛毅木訥」の方を評価する。



古典では、松尾芭蕉奥の細道」に「剛毅木訥」の語が見える。
《丗日、日光山の麓に泊る。あるじの云けるやう、「我名を仏五左衛門と云。万正直を旨とする故に、人かくは申まゝ、一夜の草の枕も打解て休み給へ」と云。いかなる仏の濁世塵土に示現して、かゝる桑門の乞食順礼ごときの人をたすけ給ふにやと、あるじのなす事に心をとヾめてみるに、唯無智無分別にして正直偏固の者也。剛毅木訥の仁に近きたぐひ、気稟の清質、尤尊ぶべし。》
仏が衆生済度のために現世に示現したかと思ったら、ただの剛毅木訥の人だったという、謡曲風を匂わせておいての、見立て違い。が、芭蕉莫迦にした風はなく、『論語』の教えが生きている。



近代では、山路愛山「論史漫筆」に用例がある。
剛毅木訥にして決行敢為の風あり。」
なお「決行敢為」は行動することを意味するが、四字熟語というほど用例はないから「決行」と「敢為」と分けて理解しておいてよさそうである。ちなみに「敢為堅忍」という四字熟語なら新渡戸稲造『武士道』にあり、「剛毅木訥」にして「決行敢為」であることが卑怯ならざる武士道の精神ということになるのだろう。



『龍南會雑誌』は旧制第五高等学校(現在の熊本大学)の雑誌であり、夏目漱石も執筆したことのある伝統の雑誌であるが、129巻(1909年)に由比質「剛毅木訥論」というのを見つけた。インターネットで閲覧することができるので、興味のある読者は見てみてほしい。
《羅馬を興し 精神上の原因は士民の質朴剛健の気象である。羅馬を亡ぼしたのも亦た此の気象の進化を誤り、遂に之を喪失した為めである。龍南の学風は何時までも剛毅木訥であつて、健児諸君が進化、研究、力行を怠らず、科学的培養を加へたならば、旧式でもない浅薄でもない、文学や美術や音楽と相容れないこともない。遂には仁道にも涅槃にも天国にも到達することが企てられぬでもないのである。》
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熊本大学では今も五高の「剛毅木訥」の学風が受け継がれているそうだが、ここで書かれている“剛毅木訥”はいわゆる「剛毅木訥」からさらに一歩踏み込んだ進取の気風も取り入れた近代的なそれであるようにも思う。



最近では、江上剛「〈反・論語小説〉巧言令色すくなし仁」(『小説宝石』2009・3)にも用例がある。
《大塚がゆっくりと立ち上がって木島に近づいた。
「木島君、君のようにこつこつと真面目で、周りから絶対に疑われそうにない剛毅木訥というべき、無欲で実直なタイプほど不正を働くケースが多いんだ。君は、表向きは剛毅木訥、だが内面は巧言令色だ。共に仁にはほど遠い」》
自称「剛毅木訥」の木島に突きつけられたクラブモナミのホステスの名刺。あイタ、タタ……。要するに、仮面剥がしの場面なのだが、これが当世風な「剛毅木訥」の図なのであろうか。つまり、「剛毅木訥」と「巧言令色」が対立するのではなく、両立してしまって却って軽薄というわけである。ううむ。