ヒジョヒョウカ




 飛 絮 漂 花






女性がつらい境遇のために身を落とし、頼りもなく苦労すること。「飛絮流花」ともいう。
「絮」はもともとは綿の意だが、「細敍絮説」「絮語」「絮煩」「絮々綿々」などというときは「くどくどしくて、窮屈」といった意味にもなる。また、柳の綿毛の意でも用いられ、春の到来を告げる詩語としても用いられた。そして、そこから雪・花・女を連想させる用法も派生したのだろう。



「飛絮」の用例としては、たとえば蘇東坡「漁父」の一節に「夢断落花飛絮」とあるし、庾信の「揚柳歌」には「独憶飛絮鵝毛下、非複青絲馬尾垂。」とある。『色葉字類抄』にも「飛絮」は掲出されているし、中国語では今も一般的な語彙であることを付言しておく。



ただし「飛絮漂花」あるいは「飛絮流花」といった四字熟語の用例が、寡聞の故なのだろう、どうしても管見に入ってこない。どなたかご教示賜れば幸甚である。



こういった場合、必ずどこかには用例があるはずで、そしてそれはさぞかし哀しい物語なのであろうと想像を逞しくしてみるのだが、今はどうすることもできない。用例が少ないことは確かなので、これから誰かがすぐれた用例を生み出してくれることを期待するのみ。



  『おしん』は飛絮漂花の物語だ。



たとえば、最初はこんな感じでもよいだろう。ここを起点にして「飛絮漂花」という四字熟語が実践的な語彙として広まってくれたら望外の喜びである。









(補遺)
四字熟語の形ではないものの、高山樗牛「瀧口入道」の次の一節は「飛絮漂花」を念頭に置いているのではないかと推される。「飛絮漂花」は悲恋のヒロイン・横笛を表すのにピッタリの四字熟語と言えよう。
《思へば三界の火宅を逃れて、聞くも嬉しき眞の道に入りし御身の、欣求淨土の一念に浮世の絆を解き得ざりしこそ恨みなれ。戀とは言はず、情とも謂はず、遇ふや柳因、別るゝや絮果いづれ迷は同じ流轉の世事、今は言ふべきことありとも覺えず。只々此上は夜毎の松風に御魂を澄されて、未來の解脱こそ肝要なれ。》