ジャクソウキュウキョ
鵲 巣 鳩 居
巣作りがうまい鵲(カササギ)の成巣に、巣を為すのが不得手な鳩(ハト/フフドリ)の入って棲みつくこと(いわゆる託卵の習性)から、女性が嫁いで夫の家を我が家とすること。あるいは、仮の住まい、さらには他人の地位を横取りすることも意味するようになった。「鳩居鵲巣」「鵲巣鳩占」ともいう。
『詩経』の召南篇冒頭に「鵲巣」という詩が収められている。こんな詩だ。
《 維鵲有巣 (維れ鵲に巣有り)
維鳩居之 (維れ鳩 之に居る)
之子于帰 (之の子于に帰ぐ)
百両御之 (百両もて之を御ふ) 》
「鵲の作った巣がある。そこには鳩が住んでいる。その鳩ではないが、この娘はよそさまに嫁ぐことになった。先方は車に百両を載せて迎えにきた。」
夫婦に贈る四字熟語をと頼まれて、かつてこの詩の冒頭二行を揮毫したことがある。四字熟語だと悪い意味になることがあるのがつくづく残念なことである。なお、上記は新字体にしてあるが、本来は「巣」や「帰」、「両」は旧字体なので、揮毫する際には注意を要することを付言しておく。
ちなみに、話は少し脱線するが、和な文具が勢揃いするという壮観を示すかの鳩居堂の屋号の淵源もまた『詩経』のこの詩に帰る。つまり「店はお客様のもの」という謙譲を意味するというのだ。それだけではない。鳩居堂の始祖は『平家物語』や『一谷嫩軍記』で知られ、源頼朝から「向かい鳩」の家紋を与えられた熊谷直実の末裔である熊谷直心なのである。そして、屋号を命名したのは儒学者・室鳩巣というから恐れ入る。それだけでも原稿用紙は鳩居堂のものを使おうか、となるわけだ。
司馬遼太郎『花神』の以下の記述は、そのまま「鵲巣鳩居」の説明となりそうだ。
《ハトというのは、他の多くの鳥とおなじように枯枝をあつめてきて樹の上で巣をつくる。ただ他の鳥とちがっているのは巣の作り方がひどく粗雑で、下から巣をあおぐと卵が見える。
このハトを観察してその家づくりのへたさとそのこっけいさに気がついたのは古代中国人で、『詩経』にそんな詩がある。
「ここにカササギの巣がある。いつのまにかハトがそれを失敬して自分の巣にしてしまっている」
蔵六は、自分に対して存外皮肉な男で、
――わしもおなじだ。
とおもい、この三十六両で買った空屋敷の名前を、
「鳩居堂」
とした。ひとがつくった屋敷に、ハトであるかれが住んでいる、という意味であろう。それがかれの塾の名前になった。開塾したのは安政三年十一月の寒い日で、かれが江戸にきてから七ヶ月目のことである。》
なお、蔵六というのは、村田蔵六。のちの大村益次郎のこと。わが国の近代兵制の創始者にして『花神』の主人公である。この鳩居堂は、あの鳩居堂とは別であるのだろう。
人さすらい鵲の巣に鳩ら眠る 金子兜太
小林一茶に倣って『詩経』を勉強した兜太の句集『詩経国風』のなかの一句である。この場合は、仮の住み処という意味で解釈しておくのがよいのだろう。